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ジャズ侍のブログ小説 ~ 青い光      

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1990年代半ばの京都を舞台にしたバンド小説を書いてます。文中の場所、人は全く架空のものであり、実在の場所、人との関係は一切ありません。掲載は当面、毎月第一水曜日の予定。

第三話 「紫の指先」 第十三節の6

 小さな鼻腔が、タバコで汚された空気をそれでも健気に吸い、はちきれんばかりの輝かしい音となって解き放つ。
 客達の、中途半端な、情念、雑念をそれでも吸い込んで、アルト特有の、キラキラした、粒の立った、雑味の全く無い音に浄化して撒き散らかす。
 飢えた客は、ただ、それを享受する。
 その輝きを、しっかりと捉えることはできないのに。
 なんて、汚らしい。だが、崇高な儀式・・・・。
 おっと、俺は崇め奉る気はない。
 ただ何故、俺はこいつに会い、何時も、身を削がれるような緊張感で、この音と対峙しなければならなくなったのだろう、と考えていた。
 捉えることが難しい、スパークしながら走り去る閃光。
 眩し過ぎる。だが、こんなに怖くて、楽しいことはない。
 薫子は激情には駆られない。むしろ、次第に冷えていくのが分かる。
 その速度が、硬度が増す程に、俺の力も満ちていく。身体は熱くなるけれど、心は落ち着いていく。
 翁のピアノソロを聴いてから、なんだか、余計な意識が抜けた気がする。俺は、薫子を聴き、薫子は俺を聴いている(ような気がする)。
 俺は運命など信じない。
 だが、出会うべき者は、必ず出会うと信じていた。
 今、はっきりと俺は薫子に出会った必然を感じていた。
 薫子は、「“思い”は残ると信じている」と言った。
 音楽は奏でられる端から空中に消え去る。どんなに音の良い録音をしようが、その生命は削がれ、再生されるたびにまた削がれて行く。人の心にも偏った残像しか記録されない。
 だが、逆に、どんなに音が悪かろうが、断片になろうが、強い“思い”は、決して滅ぼすことが出来ないのだ。
 俺は、それをEric Dolphyの「Last Date」の中に、何時でも鮮明に感じることが出来る。
 だから、そう言い切った薫子に驚いた。
 何故なら、薫子にも、この二十歳前の女の子の中にも、それを感じるからだ。
 きっとこいつは、何処かで、強く決意したのだ。
 それがどんな決意であって、何を成そうとしているのかは、分からない。だが、即興演奏という終わりの無い旅に、向かおうとする人の決意であることは分かる。
 俺も、一緒に行って良いか?
 “そうね。今くらい、しっかりと話せればね”
 薫子の声がしたように感じた。テーマに帰る時間だ。
 本当に楽しかった。
 足元には暗闇が広がる。常に新生しなければ囚われてしまう暗闇。俺たちは必死にスパークする。その光が一時の安らぎに向かう時間。
 薫子が、翁と井能さんの分厚い音に乗り、イントロにも増して、明確に、「Confirmation」を吹奏している間、俺は、二人で共に創造する解放と神秘を、共有できる時が来るのだろうかと、夢想した。
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by jazzamurai_sakyo | 2011-04-06 08:30 | 第三話 「紫の指先」