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ジャズ侍のブログ小説 ~ 青い光      

jazzamuray.exblog.jp

1990年代半ばの京都を舞台にしたバンド小説を書いてます。文中の場所、人は全く架空のものであり、実在の場所、人との関係は一切ありません。掲載は当面、毎月第一水曜日の予定。

カテゴリ:第三話 「紫の指先」( 64 )

 ・・・・待合いで、ハイライト・メンソールを吸いながら、右の薬指の甲をさすっている翁の前に立ち、薫子は言った。
 「私は所謂『テクニック』だけが即興演奏家の魅力だとは思いません。即興演奏に必要なテクニックは、やりたいことができることだと思っています。如何に速弾きができようが、やりたいことの無い演奏家は、価値が無いと思います」
 「それは分かっている」
 「じゃあ、深浦さんは、自分のやりたい即興演奏のために、誰と相談すべきなのか、よくご存じですよね」
 「・・・・誰」あゆみは不思議そうな顔をして言った。
 「右手の薬指と、もっとちゃんと相談した方が良いですよ」
 言いやがった。俺が言うのを躊躇していたことを。
 きっと翁は、何らかのトラブルで右手の薬指に傷を負い、思った様な演奏が出来ずに、シーンから消えた。そして、今でも過去の自分だけを厳しく追い続け過ぎているのだ。
 確かに今でも翁には、アマのミュージシャンと演奏するには、もったいない位の技術はあるだろう。だが、薫子と演奏するなら、身体的障害を気にしてアプローチに戸惑うような演奏では、一緒の地平には立てない・・・・。
 「君程、ずけずけものを言う人間には出会ったことが無い」
 「深浦さんが、既に会得しているはずの『間』を歌わせる演奏を極められれば、如何でしょうか。
 そうね・・・・。あなたはこれを聴いた方が良い」と言って、薫子はバーキンから一枚のCDを取り出して、翁に渡した。
 それは、例の変態オヤジが一九六三年に録音したソロ・ピアノ、「Mingus Plays Piano」だった。
 俺は思わず苦笑した。翁は大きくチッと言った。
 「何がおかしいの」薫子はきょとんとして言った。
 「何でも無い。おい、あゆみ、飲みに行こう」
 「え」
 「スタジオ代は出さないが、酒なら奢ってやる」
 「私達も飲みに行きましょうか」信じられないことに、薫子は翁に言った。「きっと私の事はご趣味じゃないでしょうから、安心して飲めそうですし。但し、タバコは控えめに。ワインの美味しい店にして下さいね」
 「よかろう。酒では負けん」翁はCDとタバコを鞄に納めた。
 ・・・・二人の背中を見送りながら、あゆみは「お酒でカオルンに勝てるかなあ」とつぶやいた。
 って、あいつは高校生だろ?
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by jazzamurai_sakyo | 2010-03-17 08:30 | 第三話 「紫の指先」
 やっぱり! 薫子は翁を知っていて、今日の練習に参加したんだ。翁とセッションするために。
 「・・・・最後にそう呼ばれてから三十年は経つな。君はひょっとすると歳をとらない魔女かね」
 「いえ。父のコレクションの中に、深浦さんが怪我をされる前に唯一残されたレコードがあって、時々聴いているので。
 私、実は深浦さんのファンなんです。
 レコード一曲目のオリジナル、“Tempestoso Like Bud”が特に好きです」と言って薫子は、ピアノ用に書かれたと思われる素早いテーマのメロディをすらすらとアルトで吹いた。
 それだけでなく、数小節、馬鹿っ速いソロまでも。
 翁は明らかに度肝を抜かれた様だった。
 「君、ワシのソロまでも記憶しているのかね」
 「私、一度見たり聞いたり読んだりしたことは、忘れようと努力しない限り、忘却できないんです」
 「凄いなあ」と、あゆみは言った。
 「・・・・悲しいことに」と薫子は小さく言い、そして続けた。
 「深浦さん、あなたの左手は慎ましやかで、色々なことをよく知っていて、そして、無駄口を叩かず、説得力がある。
 でも、どうして右手は自暴自棄にのたうち回って、自分自信を傷つける道化の様なことしか、言わないのですか」
 「完璧主義なんだろ」と俺は言った。
 「うるさいわい」翁はピアノの蓋を閉めた。
 「気分が悪い。橘くん、すまないがレッスンは今日限りじゃ」
 「逃げ出すのでしょうか」薫子はしれっと言った。
 「・・・・いや。こんな貧乳の小娘に馬鹿にされて、引っ込んだままでいられるか!
 しかし、これ程の手練れを相手にして、三対一では分が悪い。ワシにも共犯者が必要じゃ。次はワシがベーシストを連れてくるから、もう一度、やらんか」
 「結構ですが、あゆみちゃんへのレッスンは続けて欲しいのですが」
 「橘くん、次の練習の時は、ワシがつれてくるベーシストの演奏を間近で見たまえ。かなり勉強になるはずじゃ」
 「後、十五分だから、私達も片づけようか」とあゆみは言い、薫子は「そうね。深浦さん、少し待ってて下さい」と言った。
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by jazzamurai_sakyo | 2010-03-10 14:06 | 第三話 「紫の指先」
 あゆみも何か感じているようだ。だんだん曲のコツを覚えてきて安定してきた、あゆみに俺は目配せした。俺は、ピアノが入りやすいように、ではなく、煽るように叩いた。
 翁は、ピアノに向かい、少し間を置いて、意を決した様に引き出す。ゆっくりと、確かめながら。
 少し余裕の無い音だが、何々風では無い、誠実なメロディだ。
 左手のコードが上手く補完する。
 演奏が進むにつれ、段々右手も歌ってきた。
 薫子は左足でテンポを刻みながら、それを見る。だが、そこには侮蔑はない。
 また、翁はつっかえた。止まりそうになった時、薫子はマイクを通さず「続けて」と言い、翁も「分かっとるわい」と吐き捨てる様に言うのが微かに聞こえた。
 翁は、フレーズの全体が損なわれないようにリカバリーする。何だ、やれば出来るじゃないか。割り当てられた小節の中で、しっかりした起承転結がある、バランスが良いソロだ。
 恐らく、完璧主義なのだ、このジジイは。だから、思った様に引けなくなった時、リカバリーできないんだ・・・・。
 終わりが近い。薫子がテーマを吹き始める。翁はキメの所でコードを入れる。そして、ユニゾンで再度テーマを吹奏して、余韻を残して終わった・・・・。
 「貴様ら、ワシをハメたな」深浦翁は、右手の甲をさすりながら言った。
 「いや」と俺は言った。
 「どうしてそんなこと言うの。私は、草ちゃんのこと、やっぱり凄いって、見直したけどな。それに、今の演奏はかなり勉強になった」とあゆみは言った。
 薫子は翁に近づき、言った。
 「八小節交換の時の派手なソロよりも、じっくり弾いていた最後のソロの時の方が良いですよ」
 「君のような小娘に評価されたくはない」
 「俺も彼女と同じ様に思いましたけどね」と俺は言った。
 「五〇年代後半、米軍基地でのジャムセッションで名を売ってらっしゃった頃より、さっきの演奏の方がきっと良いですよ。『横須賀のBud Powell』こと、深浦草太郎さん」
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by jazzamurai_sakyo | 2010-03-03 00:29 | 第三話 「紫の指先」
     七

 七巡目の自分の番で、翁は、少しリラックスした様子で、バップ風のソロを弾く。新感覚派風のソロよりは、歌っているな。
 と感心していた時だった。流暢なフレーズの展開の途中、翁は少しつっかえた。それは、俺が思うに、ジャズという音楽の範疇では、大したことのないミスだった。
 少しくらいのトーンミスがあったとしても、あまり気にならないし、例え重要なフレーズの中でミスったとしても、その後の展開で幾らでもカバーできるのが、ジャズという音楽の良いところだと思っている。
 だが、翁は前回の練習の時と同じ様に、引き続ける事が出来ずにいた。まるで、思考停止したかのように、指を鍵盤に打ち付けたまま。
 空白の時が過ぎる。不安からか、あゆみのベースが余計に辿々しく鳴る。
 残りの小節数が少なかったため、八巡目の頭、薫子は何もなかったかのように吹き出した。それも、翁がつっかえたフレーズを頭からそのまま吹き、つっかえて止まっていなければ自然に導き出されるかのようなフレーズを吹いた。
 なんて嫌みな奴だ。だが、強い説得力がある。
 翁は辿々しくコードを入れる。なんて自信の無さそうな・・・・。
 薫子は、八小節を吹き切った。しかし、翁は出ない。
 何故、彼は、一度失敗しただけで、こうもその演奏に対する熱意を失うのだろうか。俺達が今、演奏しているのは、スコアを厳密に演奏するクラシックでは無いのだが・・・・。
 それとも、あの右手の薬指の傷が影響しているのか?
 薫子が二小節過ぎた所で吹き出した。一小節目にやったように、Shorter風の洗練されたフレーズだ。
 そして、薫子はテーマに帰る。翁は、少し辿々しく右手でユニゾンする。
 終わるのか?レコードなら、テーマ二回吹奏の後、ピアノソロだが・・・・。
 テーマ二回吹奏の最後に、翁は決めのコードを入れた。
 突然、薫子がマイクに向かって話した。「終わらないで。ピアノソロに行きましょう」翁は、振り返って薫子を見た。
 かなり怒った目をしている。だが、薫子は、口の端で微笑みを返した。何を考えているんだ、薫子。
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by jazzamurai_sakyo | 2010-02-24 23:25 | 第三話 「紫の指先」
 高低を激しく行き来する。強烈なタンギング。凄い。最近の練習では聴いた事のない切れ方だ。
 そして最後、ロングトーンで終わる。
 だが、翁はすぐには出ない。
 薫子の音の余韻が消えるのを待って、引き出した音は、Cecil Taylorの様に、リリカルかつ構造的な音だった。
 うおー、流石。しかし、あのスケベジジイにしては、少し観念的か・・・・。掻き回してみるか。
 俺は、翁が四分の五で弾いている所を捕まえて四分の三でバスドラの連打を入れた。
 翁の右手が揺れた。
 俺は調子に乗って変拍子に割った派手なフィルを回す。
 終わり際に薫子が、読んでいた様に被る。そして六巡目、用意していたようなすべらかな高速フレーズが流れ出した。
 また、翁は振り返った。・・・・さすがに本気になったか。
 翁は、薫子のフレーズの隙間に、少し外した様な合いの手を入れる。少し癖を読んだかの様な入れ方だ。
 だが、薫子はそれも見越していたかの如く、踏みつぶす様にして次のフレーズへ飛ぶ。全く、容赦ない奴だ。
 あれ、そのフレーズだと、八小節越えちゃうぞ・・・・。
 待ちきれないように、翁の右手が高速でシングルトーンの見事なフレーズを弾き出す。うー、真剣モードだな。俺も本気でお付き合いするか。
 このジジイ、一体無幾つの引き出しを持っているんだろう。Bud Powell風のフレーズだけかと思ったら、Cecil Taylorをちゃんと解釈したとしか思えない構造的フレーズ、聴かないと言っていたHarbie Hancockも真っ青なリリカルなフレーズ。
 右手の歌わせ方も良ければ、左手のコード・チェンジの趣味の良さ、時にはベースを補完する気配り。
 俺は、フレーズをバックアップするドラムに切り替えて、今は翁の演奏を楽しんでいた。性格は悪いが、尊敬に値する。
 ジャズ聴きの俺としては、何故、俺が今まで彼のことを知らなかったのかが、不思議だった。これだけの演奏が出来れば、日本ジャズ史上、何枚か、名盤を残すことが出来るハズだ。
 七巡目。続いた薫子も、今回は翁の演奏に敬意を払ったような、落ち着いた演奏をする。
 流石の薫子も、翁の力を認めたのか?
 だが俺は、薫子の目の中に、何かを見越した様な眼差しを感じていた。それはひょっとすると、俺が感じている懸念と同じものじゃないのか・・・・。
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by jazzamurai_sakyo | 2010-02-17 00:20 | 第三話 「紫の指先」
 代わりに、薫子のソロになる直前に、あゆみが崩れた。
 ビートが失われそうになる瞬間、薫子の氷のようなソロが流れ出した。
 あゆみはそれをガイドにして帰る。
 薫子、・・・・こいつ、Shorterまで研究していたのか。破綻の無い、音数の少ない、Miles好みのアドリブだ。
 八小節後、翁も右手のシングルトーンで、綺麗なソロを聴かせた。やはり巧い。
 二巡目、薫子は、翁の終わりのフレーズを膨らませて歌った。
 負けずに、翁も薫子の終わりのフレーズを受ける。
 三巡目、薫子は滑らかに、速い、メロディアスなフレーズを紡ぐ。
 翁も、余裕の顔で高速フレーズを繰り出す。
 四巡目、薫子はその終わりのフレーズを使って、スケール練習するかのように高速で転調させる。翁は余裕だ。今度は受けずに、ゆったりと左手で歌わせるようにコードを刻んだ。
 音色、入れるタイミングとも、素晴らしくクールな左手だ。
 ふと、薫子の口の端が少し上がった。そして五巡目、翁に被るように滑り出す。そして、その瞬間、俺の目をチラっと見た。
 やっぱり・・・・。そろそろ行くつもりだな。俺は、息継ぎの間に、少しカウンターを入れてやる。
 あゆみも気づいた様だ。俺の方を見て、カウンターに合わせて、ベースで不協和音をかき鳴らした。
 薫子はそれに乗り、強烈なタンギングで音を粒立てて、アブストラクトなフレーズを吹いた。
 その瞬間、翁は振り返った。明らかに目つきが変わった。
 しめしめ。俺は畳みかける様に大きく煽る。
 翁はバッキングを止めた。
 乗じて、薫子はEric Dolphyの様に、アルトの管全体を大きく鳴らせる。一体、あの細い体の何処から、あの音が出てくるんだ?
 ジイサン、コード入れとかないと、どんどん貴方のコントロール出来ないところに行っちゃうよ。
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by jazzamurai_sakyo | 2010-02-10 22:00 | 第三話 「紫の指先」
 「ええ」
 「橘君には、即興するための度胸が一番必要なんじゃ。どうじゃ、何か四人でやってみるかね」
 「良いですよ。じゃあ、深浦さん、Harbie Hancockの“The Sorcerer”って曲、ご存じですか」
 「君、Milesは嫌いだったんじゃないのか」と、俺は思わず言った。
 それは、Miles Davisが一九六七年に出した、当時全盛のフリージャズの喧噪とは、真逆のクールな同名タイトル・アルバムに入っている曲だ。MilesとWayne Shorterが八小節交換、つまりバトルをやっている。 俺はこの曲の破天荒なTony Williamsのドラムが大好きだった。
 「それはスタンダードじゃないだろ。ワシは新主流派はあまり聴かんのじゃが・・・・。確かこんなテーマだったな。コードは・・・・」
 「ソロを八小節交換しませんか?」
 「入れたり出したりじゃな。ワシの好きなヤツじゃ。しかし、最後まで逝っちゃいかんぞ」翁の目がエロく光った。
 「お手柔らかに」薫子は、軽くお辞儀した。「ピアノがテーマ始めて下さい。三回テーマ繰り返したら、私から始めます。
 あゆみちゃん、好きに弾いて。テーマではコードチェンジするけれど、即興の部分はモードだから、最初はフレーズの繰り返しでいい。フレーズに流れがあれば、多少、ミスチョイスしても大丈夫よ。神ノ内さん、煽る所は煽って下さい。
 深浦さん、要所でコード出してあげて下さい。じゃあ、ピアノからどうぞ」
 「ふん。ワシに指示出しするか。・・・・まあいい」翁は、速いテンポで弾き出した。
 俺はついて行く。あゆみは、二回目の繰り返しの途中から入った。
 薫子は三回目の頭から入った。忠実にテーマを吹く。
 それだけで分かった。こいつ、この曲を結構吹き込んでいる。
 くそっ。俺は一瞬、頭に来て、薫子を崩してやるつもりで、Tonyの様に、テーマのリズムとは全く異なる譜割のフィルを、隙間に打ち込んでやる。
 薫子は全く動じない。
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by jazzamurai_sakyo | 2010-02-03 08:29 | 第三話 「紫の指先」
     六

 「え、カオルンも来たの?」
 「ええ、ちょっとお勉強させてもらいに来ました」
 「お、このべっぴんさんも、橘君のお友達か?」
 「初めまして、藍王薫子です。今日は、参加させて頂いて、ありがとうございます」またもや薫子は歯切れ良く話し、ぺこりとお辞儀した。嘘つきでーす、この女の子は嘘つきですよー、と俺は心の中で叫んだ。
 「可愛いなあ。そのケース、アルトだろ。高校でブラバンやってるのかい、お嬢ちゃん」
 「そんな所です」
 「そうかいそうかい。しかし、初々しいのう。まあ、二十歳過ぎれば、その有るや無しやのオッパイも少しは大きくなって、色気も出るじゃろう」
 ・・・・薫子の目が凍て付きかけている。
 「もうバカなこと言ってないで、早くスタジオ入って」
 あゆみは深浦翁の背中を押した。
 ・・・・薫子は、深浦翁の背中を見る形で壁際に座り、念入りなピアノ椅子の位置直しや、前と同じ“Tempus fugue-it”での指慣らしを見ていた。例の、一見冷たいが、侮蔑の無い眼差しで。
 「ふむ。このピアノも最悪だな」と言うことまで同じの翁は、「ええと。君、なんて言う名前だったかな」と俺に言った。
 「神ノ内です」
 「覚えにくい名だな・・・・。では、神ノ内君、橘君、また『クレオパトラ』からやるか」
 漸く名前が正しく言えたか。
 それから俺たちは「クレオパトラの夢」を三回、繰り返した。相変わらず、深浦氏は、終わる都度、あゆみに対して、主にソロ楽器をバックアップするための音の選び方について指摘した。
 あゆみはかなりやり込んだ風で、前回よりかなりマシだった。ただ、相変わらず、即興的に演奏することが難しい様だった。
 薫子は何も言わずに、ただ、それを見ていた。
 続いて“Down With It”を三回繰り返した後、翁のタバコ休憩にした時、翁は薫子に言った。
 「君、何か演奏できる曲は無いのかね。その、ジャズのスタンダードで。スターダストなんかは、ブラバンでもやるだろ」
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by jazzamurai_sakyo | 2010-01-27 00:19 | 第三話 「紫の指先」
 「ヴォイドさんが『そりゃ、お嬢さんは女子高校生でお時間もたっぷりあるでしょうから、練習も十分出来るでしょうけどね。俺達は、仕事しながら、身を削ってバンドやってるんや。ガキのくせに巧いからって偉そうなこと言うな』って」
 「ははは、おっさんの典型的なボヤキだな」
 「その上、私に唾を飛ばしたので、その・・・・、意識がコントロールできなくなって、気が付いた時には、空のビール瓶で、右足のすねを思い切り殴ってました。瓶の首が折れる程に」
 「ははは・・・・」こいつ、酒乱だったのか?
 「それから、あゆみちゃんは辞めさせるって言いました。それで、今、一緒にいます」
 叡山電鉄・元田中の踏切に、遮断機が降りた。俺達は止まり、薫子は、俺を見ずに言った。
 「あゆみちゃんの今の彼氏のことが、彼女の音の向上を阻害するなら、それは何とかしなきゃならないのでしょうけど。私は、そういう事はよく解らないので・・・・。興味も無いし・・・・。
 そういえば、神ノ内さん、私の質問への回答は?」
 「ああ、俺が何のために演奏するか、ね」
 「ええ」
 「俺が今、此処で演奏するのは、それが歯磨きと同じ習慣であることと、・・・・そうだな、軋轢を楽しむためだった」
 「軋轢を楽しむ?」
 「そう、人間関係の中で、軋轢を楽しむなんてことは、バンド活動以外には出来ない。俺は予定調和が嫌いだ。だからこそ、君の誘いを受けたんだった」
 「ふふふ。神ノ内さん、このバンドに居心地の良さを求めるのは駄目よ。それは誤解、一瞬の幻想なのよ」
 「そうだな、その通りだ」
 出町柳行きが通り過ぎた。薫子は、プジョーに跨った。
 「・・・・私、先に帰ります。また、明日」
 水色の薄いカーディガンがひらりと揺れた。俺は、その凛とした薫子の背中を見送った。
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by jazzamurai_sakyo | 2010-01-20 02:33 | 第三話 「紫の指先」
 「Televisionは好きです。やりたいとは思わないけれど。
 “White Heat”の中で、一番目立たないけど、サウンドの一番下で、リズムと音程を堅持していたのが、彼女だった。
 その頃から、彼女がお目当ての客も多かったな。
 ・・・・何故、おじさん達は、かき鳴らすのが、パンクだと思っているのかしら。チューニングも無茶苦茶。彼らが好き勝手やっている中で、辛うじて音の核が保てているのは、彼女がそこにいたからだった。堅い、正確な音だった。無表情な顔して、細い指でね」
 「今のタメタメと違うじゃないか」堅い音なら、俺には合うはずなんだが。
 「・・・・そうね、彼女の音は大分変わったと思う。でも、私は、私の音に合うか合わないか関係なく、今のあゆみちゃんの音が好きだし、初めて聴いた時から、あゆみちゃんの本当の音は今みたいな音だと思っていた」
 「それで、何で、どうやって引き抜いたわけ」
 「打ち上げで喋ったら、もっと魅力的だったから。お酒が入ると明るくなって、甘え症になっちゃうのは、その時から全然変わって無い。そして、色々と、喋ってくれて」
 「どんなことを?」
 「それも、あゆみちゃんに直接訊いたら良い。たぶん、飲ませたら、すぐ喋るだろうから・・・・」
 「飲んでも、あゆみは、あまり自分の話はしたことなかったんだけどなあ」
 「それは、まだ飲み足りないからよ。
 それから、彼女を観るために、次の“White Heat”のライブに行って、相変わらず酷い演奏で・・・・。それで、私、気になって、あゆみちゃんにくっついて、また打ち上げに行って、その・・・・、ヴォイドさんと喧嘩になっちゃって」
 薫子は、苦笑した。苦笑する薫子を見たのは初めてだ。
 「なんで」
 「キメでリズムがずれて、八部音符、ひっくり返ったのは、あゆみちゃんのせいだって。お前、何時になったら俺達に付いて来れるんだって言って。ヴォイドさんが早く突っ込んだせいだったのに、あゆみちゃん、目を伏せたまま、ごめんなさい、って言うもんだから。
 私、あゆみちゃんと一緒に、結構飲んでいたので、ついつい、『何言ってるの、狂ってるのは、おじさん達の耳でしょう』って、それから『聴かせたいなら、もう少し練習したらどうです。下手なんですから』って、言っちゃって・・・・」
 あれ、耳朶が赤くなってる?「それで」
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by jazzamurai_sakyo | 2010-01-13 22:55 | 第三話 「紫の指先」