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ジャズ侍のブログ小説 ~ 青い光      

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1990年代半ばの京都を舞台にしたバンド小説を書いてます。文中の場所、人は全く架空のものであり、実在の場所、人との関係は一切ありません。掲載は当面、毎月第一水曜日の予定。

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 ・・・・低くて、暗い歌い方だけど、粘つく感じの無い、すっきりとした歌い方だった。等身大の、あいつの、気持ちの良さが出ていた。
 そうか。あゆみは、今を捨て去って、次の世界に行くつもりだな。歌詞に発言を引用された俺は、少し恥ずかしい気がした。
 そして、アンコールはCarole Kingの「You've Got a Friend」だった。これはあゆみのリクエストだ。名手を従えて、あゆみは自信ありげに歌い切った。
 俺たちが終わったのは、既に十時に近かった。帰ろうとする冬美を見送るため、俺たちばかりか、翁や井能さんまで店の一角に集まっていた。
 どうやら、井能さんはあゆみを気に入ったみたいだ。ベースを教える代わりに、ツアーに同行して歌ってくれないか、というお誘いを、あゆみは丁重にお断りした。
 「大丈夫ですか・・・・、右手は」薫子が翁に言った。
 「ああ、少しくたびれているが、大丈夫だ。ほら、この通り」
 一瞬の出来事だった。翁は右手を伸ばして薫子の胸を揉んだ。蜘蛛の足のように、するすると。
 「草ちゃん!」あゆみが叫んだ。
 「あまり、甲斐がないな」
 そりゃ、“あるやなしや”だもの。
 「・・・・手じゃなければ、叩いても良いですか」と言うが速いか、薫子は翁の頬を軽く平手打ちした。井能さんが面食らっていた。
 「・・・・優しいな。本気じゃないとは。惚れたか」翁はにやりとして右手を離した。薫子の表情は冷静だった。
 「ええ、その通りです。
 私は、深浦さんに惚れました。
 冬実ちゃんにも、先生にも、あゆみちゃんにも、・・・・神ノ内さんにも、惚れてます。それがなにか?」
 「ふん。ワシに何を求める?」
 「何も求めない・・・・。深浦さんが深浦さんでいること以外は。そうね、では、私のバンドにご協力を」
 「入れとは、とは言わないのか」
 「うちは一応、ロック・バンドですよ?」
 「え、そうだったのか」と、俺と輝広は同時に驚いた。
 「・・・・まさかプログレじゃないでしょうね」と、あゆみが言った。
 「フン!」と冬美が鼻を鳴らした。
 「必要な時だけで良いのです。それと、自慢の奥様をご紹介下さいな。料理がお上手なのでしょう?」無視して薫子は続けた。
 「・・・・いいぞ。女の孫が無いから、喜ぶだろう。
 それと、やはり礼を言わねばならんだろうな。
 お前の言う、“ハプニングや間違い”な。つまりそれはワシそのものだ。だから、妻がワシを助け、励ましてくれたようなやり方で、左手がすれば、右手は軽々と飛べるのだ」
 翁の左手は、右手を包み、さすった。
 「ふふふ」と薫子は微笑んだ。
 翁の薬指は血の気も良く、明るい色をしていた。俺は何となく安心したのだが、それに気付いたのか、翁は右手の親指を人差し指と中指の中に入れ、「今日は少し、俺のこいつも熱くなりよったわ」と、ニヤニヤしながらぐっと握って見せた。
 薬指は仕事をやり遂げ、ひっそりと自慢げに添えられていた。
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by jazzamurai_sakyo | 2011-06-01 08:30 | 第三話 「紫の指先」