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ジャズ侍のブログ小説 ~ 青い光      

jazzamuray.exblog.jp

1990年代半ばの京都を舞台にしたバンド小説を書いてます。文中の場所、人は全く架空のものであり、実在の場所、人との関係は一切ありません。掲載は当面、毎月第一水曜日の予定。

 今まで薫子に恋愛が無かった訳じゃ無いだろう。しかし、この切なさは色恋沙汰の結果とはちょっと違う気がする。時折、大きな後悔の表情が垣間見えるようだ。
 初めてあった時、薫子はこの曲を小さなガラスの破片の煌きにしていた。春の日差しが音をキラキラと舞わせていた。俺はきっとまた、そんな風に吹くのだと思っていた。
 だが、今日の演奏は少し重い。絡まった鎖を解して行くような作業だ。
 少し辛くなってきた俺は、トップ・シンバルをブラシで軽く刻んでみる。
 すると翁は、孤独な人に寄り添うように上昇するフレーズを歌う。そして、優しくコードを入れる。ポロン、ポロンと。それが薫子の即興を包み込み、次第に解け合っていく。
 薫子のフレーズは少しずつ吹っ切れていく。シャワーを浴びて、服を着替え、暗いドアを開けて、春の風に吹かれようとするみたいに。
 ふふ、翁め、少し妬けるなあ。仕方ない。俺はジャズの、こういうところも好きだよ。
 さて、そろそろエンディングだぜ。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-08-04 01:24 | 第三話 「紫の指先」
 ふと見ると、薫子は呆れたような、感心するような顔をして翁を見ていた。自分のテーマへのアプローチを否定されたと感じたのかな。
 さて、翁のソロが終わりに近づき、破綻なく仕上がりそうだ。余程弾き込んできたのかな。薫子はどうする。
 被せずに出た。うん。良く鳴らしてる。上手いな。
 そして、翁の曲解釈などお構いなしと言わんばかりに、無邪気なフレーズを吹いた。
 そこへ翁が暗いコードを、トン、と入れる。
 薫子はちょっと自虐的な明るさで離れる。
 翁は、薫子のフレーズをなぞって捕まえる。
 一転して薫子は脈絡のない早いパッセージを入れて、ますます離れようとする。そして、例の強烈なタンギングで、行ったり来たりする。コードの枠ぎりぎりだ。翁は、手を止めている。困った俺はふと、井能さんを見ると、彼は笑いながら、堅実に弾いていた。
 ふん。押すしかないか。俺は、少々ブラシを乱暴に使って、薫子をプッシュした。その部分はAメロの最後部分だ。
 すると翁が左手で低く、「You Don’t Know What Love Is」、とフレーズを入れた。
 すると、薫子はBメロに入るところで、少し湿った音に変わり、内証的なフレーズを吹き始める。告白するもののように。
 黒めにサポートする翁。途端にフルートは哀愁を帯び始める。テーマに合った演奏だ。
 珍しく切なく吹いている。ここの歌詞は「失恋した心は、思い出が蘇るのを恐れている/涙を味わった唇は、キスの味が判らなくなる」だ。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-07-28 01:21 | 第三話 「紫の指先」
 そう考えていると、楽器を持ち替えるために後ろを振り向いた視線が俺を射抜き、同時に口が、「手を抜いている訳ではないでしょうね」と動いた。
 そのつもりはないが、俺は素直に「すまん」と言った。今のは少々やられたな。だが、次の曲も、仕掛けるのはそうそう難しい曲なのだが。
 薫子は古いフルートを取り出す。そして、ワン・テンポ置くと回りに声もかけず、いきなり吹き出す。今度は小さな音から始まり、ゆっくりとしたテンポで、アドリブする。張りのある音がしている。少し曲に合わないかもしれない若い音がした。
 だが、妙に雰囲気作りをする必要はない。空間から舞い降りてきた、そのテーマが「You Don’t Know What Love Is」だったとしても。これは俺のリクエストだ。
 一度、ちゃんと聴きたかったのだ。出町柳で、薫子と初めて会った時、あいつはこの曲を吹いていた。小さな音で。
 井能さんがアルコでテーマに寄り添う。薫子は、少し崩して、だが迷うことなく朗々と吹く。
 俺はさして得意ではないブラシを取り出した。
 ドルフィのヴァージョンと違い、ソロはピアノが先だ。
 翁は薫子のフルートがテーマを吹き終わる所にフレーズを被せて滑り込む。上手い!
 薫子はスッと退いた。退いた余韻の中から浮き立つピアノ。
 微かに香るエロス。芯のあるタッチだが、時折内証的な表情を見せて、その「ゆれ」が聴いている俺の心をぐらぐらさせる。
 やっぱり、左手が良い。右手に優しく寄り添う。
 じじい、やっぱりこんなピアノが弾けるじゃないか。
 ひょっとすると、右手が若く戸惑う人で、左手が諭す女だ。この曲はミュージカルの曲で、男に対して女は、「激しく心を燃え上がらせて、そして全てを失うまで、愛とは何か解りはしない」と歌う。それを、両の手で弾いている。うーん。これじゃ、俺は干渉できない。仕方ない。スネアを歌わせるか。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-07-21 21:33 | 第三話 「紫の指先」
 続いて出る翁は、やりにくそうだった。訥々としたフレーズ。おいおい、らしくないぜ、と思った瞬間、ゴンと不協和音をぶち込んだ。
 おわ。Cecil Taylorのように、十二音階のユニゾンのフレーズを正確に弾いている。スピードで張り合うつもりは無い、と言わんばかりだが、このソロは、地鳴りみたいに響いて、俺のドラムに干渉する。結構怖いぜ。
 ちょっと揺らしてみるか。だが、俺が動いたら、雰囲気が保てないか。俺は翁の演奏に引きずられないように、正確にフォービートを刻む。井能さんは翁の演奏の冷たさを浮き上がらせるように、逆に柔らかい音で、俺に合わせて刻む。
 ふと翁は井能氏の皮肉に気付いたのか、一八〇度転換してモンク風にテーマをアレンジし、映像のコマ送りのように少しづつ色づけを変えていく。
 それは派手ではないが、面白い。こりゃ、Monkも大喜びだな。Monkの曲はコードだけじゃなくて、テーマそのものに相対しないと、活きてこないから。
 このスピードなら、指も問題ないか。
 そして、短いベース・ソロへ。うーん。堅実にまとめたな。
 テーマに帰ってアッサリ終わり。客はまばらな拍手だ。そりゃ、全くまとまりの無い演奏だもんな。
 気付くと、冬美はレインコートの向こうからキツイ目で薫子を見据えている。輝広はやっぱりビールをラッパ飲みしている。
 薫子はつかつかと翁に近寄り、何事か耳打ちする。
 すぐに「それはワシなりの考えでやらせてもらう」と少々怒気を含んだ声がした。ピアノ側の客が退く・・・・。
 薫子の「寂しいので、お願いします」と言う声が聞こえた。
 察するに、ソロの時、バッキングしなかったことを言っているようだ。だが、あのアドリブにどの様なバッキングをしろと言うのか。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-07-14 00:21 | 第三話 「紫の指先」
7月7日の放送は、七夕のため中止です。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-07-07 07:00 | 第三話 「紫の指先」
 今日の持ち時間は、セッティング込み一時間と長かった。ハウス系似非ジャズの次、三番目に出た俺達がやる曲は、五曲。
 箱のせいか、客はおっさんが多かった。洗い晒しの五〇一に、空色のノースリーブを着た薫子は、本当に場違いだ。おっさん達の視線は薫子に集中している。期待と半々の軽視。こりゃ、あんまり良い気分じゃないだろうな。
 気が付けば、輝広と冬美が最前列に座っている。輝広は瓶ビールをラッパ飲みし、冬美は・・・・分厚いマスクをした上に、頭から足の先まで雨合羽を着込んでいる。きっと、煙草対策だな。
 「良いですか」と、薫子が翁に声をかける。
 「おい。客にギャルなんぞおらんじゃないか。・・・・まあ良いが。井能君、行こうか」そして、井能さんがうなずいた瞬間、翁の指がするすると動いて、音の粒を転がした。
 Monkの「Twinkle Twinkle」。これは、井能さんのリクエストだ。テンポはミディアムなのに、フレーズが速い。Monkは下手だと言う奴がいるが、この曲を聴けばそんなことは言えないはずだ。速いテーマに、薫子は遅れずに付いていく。井能さんの太い音に助けられながら、俺も付いていく。客の顔がぱっと明るくなる。
 さあ、薫子のソロ。・・・・な、なんだ?
 Anthony Braxtonのように、ダーティーに、アブストラクトに吹きまくる。少々の逸脱はお構いなしだ。
 薫子は絶対に音を濁さないと思っていた俺は、びびった。
 そして、明らかに殆どの客の顔色が変わった。こりゃ好奇心に対する嫌みだな。
 うーん。このテンポと、このフレーズじゃ、俺は薫子に絡みにくい。等と考えていると、翁もバッキングするのを止めて、薫子を苦々しい顔で見ていた。
 井能さんは余裕だ。俺がおとなしいと見るや、薫子に茶々を入れて楽しんでいる。薫子は動ぜず、ますます露悪的にエスカレートする。吹き終わった時には、殆どの客が引いていた。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-06-30 01:00 | 第三話 「紫の指先」
 「そうだ。・・・・だが、やはり思うようには行かないのだ。薬指が思うように動かない時、ワシは自分の人生を呪うよ」
 俺は心に、グッと来た。翁が弱音を吐くなんて。いや違う。この人は怪我をした時から、問題を目の前に据えて、乗り越えるために、ずっと闘ってきたのだ。
 「深浦さん、私、思うのですが、自分にとって一番新しい音は、間違っている音ではないでしょうか。私は、演奏の瞬間瞬間において誠実であるべきだと思ってはいますが、同時にハプニングや間違いも大好きです。それを上手く使って、違う世界に飛び込みませんか」
 「・・・・訳のワカランことを言うもんだ」そう言いながら、翁は右手を薫子に預け続けた。
 “俺も薫子の意見が好きです”と言いかけた瞬間、階下の店の入り口に、あゆみが立っているのが見えた。白いレインコートに雨が光っていた。赤い唇が鮮烈に見える。
 ひょっとすると、あいつも翁の奥さんの様に、情の濃い女なのかもしれないと、ふと思った。
 「やっと来たな。その歌声を聴かせもせず、ワシに伴奏させようとは、いい根性している」と翁は悪態をついた。
 「・・・・ごめんなさい。どうしても今日は仕事抜けられなくて。あら、良いわね。カオルンとお手手つないで」
 「歌詞は書けてるのか」と俺は訊いた。
 「あいにく書けてるわ。ただ、ライブで一人で歌ったこと無いから、吹っ飛んでしまうかもよ。・・・・だからちょっとだけ、飲んでも良いかな」少しヤケな感じのする言い方だ。
 薫子の携帯電話に井能さんから電話が入った。「もうすぐ、ここに来られるそうです」。
 着いた井能さんは、雨で濡れていた。「やっぱり、京都は蒸し暑いですね。ベースがちゃんと鳴れば良いですが・・・・」
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-06-23 00:58 | 第三話 「紫の指先」
 「私はそんなことは言いません」
 「そうだろうな。お前も、神ノ内くんもそうはせんだろうな。
 前にも言ったが、アドリヴは一瞬の閃光だ。その光を弱めることは」
 「できない。貴方も、私も、神ノ内さんも。それはその通りです。人生は一瞬の閃光でしかないから。
 でも、それは志をなしえなかった時に萎えてしまう程の弱い光であってはならない。
 あなたはあなたのアイデンティティを守るために演奏をするのですか。それとも、あなたをあなたとする存在の光を、常により強く光らせるために演奏をするのですか」
 薫子はさすりながら、翁の目を貫くように見て言った。
 「完璧でなければ気が済まないのだ」翁も目を逸らさない。
 「あの、その薬指の怪我はどうしたんですか」俺は率直に聴いてみた。
 「格好の悪い話だよ。だから、ワシの口からは言えん。・・・・お嬢ちゃんは知っているのだろう。代わりに言ってやってくれ」
 「良いのですか」「ああ」
 「『ジャズ・ジャーナル』誌、一九六一年五月号の記事によれば、他の女性のことで奥様と口論になり、奥様は衝動的に深浦さんの右手にきつく噛み付き、全治四週間の重症を負わせた。復帰は難しい、とありました」
 「号数と記事内容は合ってる。その頃気に入っていた女と一緒に指輪を買ったのだ。それを右手薬指にしていた。今から考えれば傲慢な話だよ」
 「でも、今でも奥様とご一緒ですよね」
 「ワシはあいつを愛している。それに、あいつがいなければ、ワシは稼ぎのない、ただのごろつきに過ぎなかった。本当に感謝している。あいつは、ワシのジャズメンとしての価値が怪我のためどうなったかを知り、泣いて泣いて何度も詫び、呆然となって死のうともした。だが、この結果を導いたのはワシだ。ワシの馬鹿さがこれを招いたのだ。だから、ワシは・・・・」
 「怪我をハンディキャップと考えたくないと」
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-06-16 23:31 | 第三話 「紫の指先」
     十一

 その土曜は蒸し暑かった。ライブの対バンは、関西では有名なパワー・フュージョン・バンドのドラマーが組んでいるギター・トリオ、コルトレーン・サウンドから技術を抜いた様な雰囲気カルテット、それから主催者のハウス系似非ジャズ、だった。
 三条木屋町上るビルの五階『Stride』で、リハの時から深浦翁は荒れていた。原因は対バンの胡散臭さに加え、ピアノの音が悪い、ということだった。
 「深浦さん、この湿度だから仕方ありませんよ」と俺は言ったのだが、与えられたリハの時間が短い上に、井能さんがリハに参加しないこともあって、翁は「弾く気がおこらん」とご立腹だった。
 こんな時でも、薫子は容赦ない。「天気が崩れそうだから、薬指が痛いんでしょう? なんなら逃げますか」と言った。
 恐らく強烈な天の邪鬼の翁は、そんな風に言われたら、逆に向かざるを得ない。
 「やかましいわ。テーマの処理とキメだけ確認すればいいんじゃろが」
 「今は、それしかできないでしょうね。とりあえず三人で合わせましょうか」
 翁の演奏は精彩を欠いた。テーマが弾ききれない場面もあった。
 リハの後、俺達は直ぐ近くの「ベイロン」に、軽く食事をとりに出た。
 といっても、翁と俺は飲むのだが。待つ間、翁は右手の薬指をさすり続けた。
 「よっぽど痛いんですね。・・・・ごめんなさい。本当に止めますか」薫子は翁の右手をとり、さすってやる。珍しく、瞳に年相応の逡巡の影があった。
 「ここまできて、止められる訳がなかろう。
 ・・・・冷たい手かと思っていたが、熱い掌じゃな。なかなか気持ち良いわ」と言って、翁は手を預けるままにしている。
 「最初から最後まで酷使するからですよ」
 「客の耳が悪そうだからな、手を抜け言うのだろうが」
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-06-09 23:41 | 第三話 「紫の指先」
 「彼氏」は、お姉さん抜きで話してみると、軽い人だった。ただ、目つきが怖かった。私は時々席を外して、お姉さんの家に電話したのだけれど捕まらなくて。その時までお酒に免疫が無かった訳じゃなかったけれど、緊張してたせいか、メチャメチャに酔っちゃって。
 ふと目覚めたら、私は凄い頭痛と吐き気に満たされた。そして、見たことも無い部屋で、「彼氏」と二人、裸で寝ていることに気付いたの・・・・。皺くちゃになった服を着て、タクシーに乗った。お腹が妙に熱くて気持ち悪かった。
 家に帰ったら、父親が起きていた。でも父親は、何も言わず、目も合わさず、叩いてもくれなかった。
 私はその時から楽園を失った。電話でお姉さんから「何で遊びに来ないの?」と誘われても、言い訳を見繕って断った。彼女の声に怒りの色が陰っているのが分かっていたから。だって、お姉さんにもらったベース、「彼氏」の部屋に置いてきちゃったんだもん。バレない方がおかしいよね。あんなに親切にしてもらったのに、私はお姉さんを裏切った。会えないよ・・・・。
 何も考えたくなかった私は、母親伝えに父親の言うことを聞いて、受験勉強した。それでもまあ、私学の女子大にしか入れなかったわけ。
 入って分かったんだけれど、女子大って、本当に何にも面白くない所よね。というか、大学って目的もなく入っちゃダメ。
 あの二年間は空虚だった。ただ、ベースだけは続けていた。だって、気付いたの。音楽が無くなったら、私には何も残っていないことに。
 ベースは大学入る前にバイトして買い直した。最初は安いフェンダーのコピーモデルを、一回生の夏と冬の休みのバイトで今のベースを買った。
 軽音楽部に入って、女子大のお嬢様達のコピーバンドで演奏したの。何にも面白く無かったけれど、ためにはなった。時々、他の大学の軽音の男の子との合コンに混ざっては、刺激的な音楽を演っている人を捜した。殆どは女の子をお持ち帰りすることが目的のような、ちゃらけた男の子ばっかりだったけど、時々面白い子もいて、その子の大学に出かけては演奏した。
 その頃から自覚あったのよね、男の趣味が悪いってこと。私、あんなに父親が嫌いなくせに、年上の男に、それも説教好きのオヤジ系に弱いんだ。だから、同年代の大学生なんて、全然好きにならなかった。今から思えば寂しい女子大生だったな。
 親に内緒でアルバイトばっかりして、卒業したら家を出た。殆ど夜逃げに近かった。姉貴は京大卒業した後、院に行って研究者になったから、もう私は親から何も期待されていなかった。
 仕事は、医療関係の会社のアルバイトに滑り込んだ。
 社会人になってからは、ライブハウスに出たりして、色々な人と演奏するようになった。まあ、それで、そのうちヴォイドとも知り合ったってわけ。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-06-02 01:43 | 第三話 「紫の指先」
     十

 やっぱり、私はバカな女よ。
 高校時代はホント、メチャメチャだった。私は全然、勉強しなかった。京都の公立高校って、基本は私服なんだけど、私の高校は新設で制服があった。それが、めちゃダサイの。あまり着たくなかったから、学校に行かなかった。出席日数はギリギリだし、理数系はボロボロだし、卒業できたのは不思議。
 何時もお姉さんの所に入り浸ってた。お姉さんはニューウェーブ系の評判のアルバムは全部買っていた。それを聴きながら、萩尾望都、竹宮恵子、吉田秋生、内田善美、三原順・・・・とか、そういうちょっと難しい系の漫画を読ましてもらった。時には買えと進められた本を持ち込んで読んだり。三島由紀夫は面白かったけど、セリーヌとか、バタイユとか、おフランスの作家はさっぱり分からなかったなあ。
 本当に楽しい日々だった。でも、私って、そういうの、長続きしないんだ。
 高校二年の夏、私とお姉さんと、お姉さんの彼と、その友達でバンドを組むことにしたの。お姉さんは大学検定は合格したけれど、彼氏の行ってる大学には落ちちゃって、浪人生だった。何度か練習して、彼氏の大学の学祭で演奏しようということになった。
 お姉さんの彼氏は賢い人で、格好いい人だったけど、ちょっと私は怖かった。Rolling StonesとDavid Bowieが好きで、ギターが上手かった。Stonesは、全部テープに録音してくれた。
 お姉さんと「彼氏」は好きな音楽がちょっとずれていて、練習は何時もケンカになった。最初の頃は言い合いだったんだけど、段々揚げ足取りみたいになって、どんどん冷たいケンカになっていくの。二人とも我の強い人だったから、譲れない所が多すぎたのね。今なら私も分かるんだけど、全く趣味が違う場合でも、良い所を合わせれば、相乗効果で良い音楽ができることも多いよね。でも、言っても仕方ない、みたいな冷たいケンカになったら、何も創造はされないよね。
 私はそれでも頑張ったんだけど、ドラムの人は合わせているだけって感じになっちゃって。曲もコピーの曲ばかりだったから、何も面白みの無い演奏になっちゃって。
 学祭の日、リハの時間を過ぎても、演奏の時間になっても、お姉さんは大学に現れなかった。「彼氏」は主催の先輩に酷く怒られた。「彼氏」とドラムの人は、私に飲みに行こう、と誘った。
 前の日に恐ろしく緊張のあまり一睡もできなかった私は、直ぐにでも帰りたかった。一方で、ライブのために、ちょっと頑張ってめかしてきて、がっかりした私もいて、一人で帰るのをちょっと躊躇ったの・・・・。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-05-26 01:25 | 第三話 「紫の指先」
 「例の似非ジャズ系イベントさ。今度は、箱が『Stride』なんだ。ジャズ系の箱で、ジャズのイベントだろ。薫子は断るつもりだったんだけど、呼んでた大物がキャンセルになって、時間が空いたからどうしてもと頼まれて弱ってたんだ」と輝広は言った。
 「神ノ内さんは、どうしても都合つけて下さい。井能さんは如何ですか」
 「スケジュールが奇跡的に空いています。リハーサルは無理そうですが。新幹線代は、ベースの席も含めて、別に払ってくれますね。それと、宿泊費用も」と、井能さんは言った。
 冬美と、あゆみは驚かない。さては薫子、俺だけに話を通さず事を運んだな。
 「あゆみ、お前、良い所、薫子に持って行かれたぞ」と俺は言った。
 あゆみは「勉強させてもらうわ」とだけ、言った。
 少し腹が立ったが、俺は薫子に「やるよ」と言った。だが、腹立ちついでに、「ただし、一曲あゆみが歌ってくれるなら」と注文を付けた。
 「え、なんでそうなるの。嫌よ」
 「おまえが出ないで収まると思うのか。この人間関係を作ったのは、おまえだろうが」
 「そんなこと言ったって、ピンで歌ったことなんてないし」
 「あゆみが歌わないんだったら、俺は出ない」と言い切ってみたが・・・・。どう出る?
 「あゆみちゃん、お願いします。今のままじゃ、華やかさが無くて浮きすぎちゃう・・・・」と言った薫子は、井能さんを見て、「ごめんなさい」と言った。
 「じゃあ、おまけ程度に一曲だけよ」
 「宜しくお願いします。深浦さんは?」
 翁は少し渋ったが、薫子が「今までの借りは返さないおつもりですか」と冷たく言ったり、「女の子のお客さんは多いと思いますよ」等と少々甘く言ったりすると、翁は「まあ、ギャラがあるなら出てやっても良い」と言わざるを得なくなった。
 「では、本番まで練習は無しです。選曲と構成は、希望を私に伝えて下さい。後日、やる曲と、簡単な楽譜及び構成表をファックスで送ります。では、本番で」と言い、薫子は覚めた顔で井能さんの電話番号を手帳に収めた後、すっと帰っていった。
 俺は、やられた、という気持ちを感じながら、薫子を見送り、そして、あゆみを飲みに誘った。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-05-19 01:11 | 第三話 「紫の指先」
 「相棒さんとのご相談は、まだ充分じゃ無いんですね」
 「草ちゃん。ちょっと良いかな」あゆみは言った。「草ちゃんはバッキングも上手いと思うの。どういう風にとは上手く言えないけれど。だから、演奏の中で、自分をどれだけ圧倒的に輝かせるか、じゃなくて、演奏全体を自分のものにして、共演者を活かす演奏と、その中で自分の演奏の魅力は何処なのか、その両方を、どう責任持って常に輝かせるか、っていうやり方が、今の草ちゃんに合っていると思うのよ。その、なんて言うかな、草ちゃんは自分に、右手に義務を課し過ぎていると思うのよ」
 「あゆみは、時々上手いこと言うな」と輝広は言った。「確かに、一歩退いて弾いている時のあんたは、怖い位に良い」
 あゆみの言った責任と義務の話って、この前、飲んだ時に考えていたことに似てるけど、俺、言ったっけ?。
 切れるかと思った翁は黙って右手をさすっていた。気の強い男が、年相応に、少し小さく見えた。
 「さて、お話はこれ位にして、もう一曲やりませんか。“Monk’s Mood”はいかが」と薫子は言った。
 「お嬢ちゃんは、どうもワシをMonk風に矯正しようというつもりらしいが、いらぬお節介だ」
 「いえ。深浦さん風で良いですよ。Bud Powell の『A Portrait of Thelonious』風でも良いですし。お好きにどうぞ」
 そういって、薫子はフルートを持ち出した。
 「まあ、良いわ」深浦翁は、ピアノの前で右手をこすりながら少し考えた後、ゆっくりとそのコードを引き出した。
 井能さんがゆっくりと付いていく。俺は、あまり得意じゃないブラシを引っぱり出した・・・・。
 酒を飲みながら、しっとりと聞き惚れる、という類の演奏にはなり得ないが、リラックスした中に緊張感のある、良い演奏だった。俺は、自分を殺し気味にして、音数を選んだ。
 深浦翁は時折、型に填らないように、かき混ぜようと地団駄踏んだが、要所で良く歌うフレーズを入れた。ブルーな雰囲気だった。
 ・・・・練習が終わって、精算をしている時、俺は「今日は、貸し借り無しですね」と、翁に軽口を叩いた。「まあな」と翁は言い、半額を支払った。
 会計から帰ってきた薫子は、並んで座る翁と井能さんの前に立つと、「深浦さん、井能さん。七月二七日の夜は空いていらっしゃいませんか。ギャラは私が払いますから、この編成でこのライブ、出ていただけませんか」と言い、スタジオの壁に貼ってあるチラシを指さした。
 「・・・・オクトパス・デ・ジャズ?」って何だ。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-05-12 05:12 | 第三話 「紫の指先」
 彼のバックアップを得た翁は、左手でベースラインの補助に回らなくてはならない枷が無くなって、やりたい放題だった。
 数曲は、薫子が休んで、ピアノ・トリオで演奏したりもした。翁のオリジナルの“Tempestoso Like Bud”も。だが、速いスピードの曲が続くと時折言うことを聞かなくなる右手に、苛立ちを隠せない様子だった。
 反対に、ミディアム・テンポで聴かせるソロ、バラードでのプレイの方が、コードの再構成、テーマ解釈にオリジナリティがあり、素晴らしかった。きらびやかな右手に魅せられてしまうけれど、実は左手の仕事が器用で堅実なのだ。
 中休みに、持参のお茶を飲みながら、冬美は言った。
 「じいさん、下手だね。左手はまあ、ジャズやる程度なら使える程度にマシだけれど。右手はどうかなあ」
 「そうかあ。俺は上手いと思ったけどなあ」と輝広。
 「傷のある薬指に負担をかけない奏法を考えたら。小指にも負担かけちゃって、腱鞘炎気味でしょ。あまり無理し続けたら、小指の方が先に駄目になっちゃうよ。まあ、演奏のアプローチから見て、根本的な変更を余儀なくされるだろうから、年寄りにはキツイだろうけど」
 「君達は、ワシを馬鹿にしとるのか、薫子さんよ」きつく睨む翁の目を気にもせず、冬美は茶を飲んだ。
 「冬美ちゃんに言わせると、大抵の人は下手なんです。
 すみません、私達の中で一番口が悪くて。
 でも、指のことは間違っている訳じゃないのでしょう?」
 「・・・・まあな」と翁は言った。
 「この人は医者嫌いでね」と井能さんが言った。
 「薫子、君、医者の娘なんだから、良い医者紹介してやれよ」と冬美は言った。
 「ご紹介するくらいは出来ますが、今から手術して根治治療、という事にはならないでしょうね。外科治療としては、日常生活のレベルで完治しているようだから」
 「騙し騙し使うしかないそうだ。・・・・洒落臭い。そういうのが一番嫌いだ。アドリヴは一瞬の閃光だ。それを弱めることは、ワシの生き方でない」
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-05-05 05:05 | 第三話 「紫の指先」
     九

 「井能くんだ。なかなかの手練れだぞ」
 深浦翁のリベンジのために用意された練習の日、俺は少々、びびっていた。まさか翁が、硬派な演奏で知られ、メールス、ベルリン等のジャズフェスで「葉隠れのコントラバス」と称されて絶賛されたベテランのベーシスト、井能さんを連れてくるとは、思ってもみなかったからだ。
 「こんばんは。井能義信さんですね」と、教えられてもいないのにフルネームを言ったついでに、代表的な参加作品の数枚を挙げて、「素晴らしい」と評した薫子にもびびったが・・・・。
 こいつこそマニアだ。
 「たまたま、彼が京都に来る予定があったのでな」
 「深浦さんには、昔の借りがありまして。もっとも私は、既に返したつもりではいるのですが」と井能さんは言った。
 「利息じゃ利息。さて、先日はスタジオで小馬鹿にされた上に酒でも不覚をとったが、今日は借りを返すぞ」
 「立て替えた飲み代は返して欲しいのですが。・・・・私も利息つけますよ」
 「ところで、この女形と、むさい兄ちゃんはなんだ」
 「期末試験も終わって暇なので、見学でーす」冬美は制服姿のまま、しれっと言った。
 「見学れーす」輝広は、木で鼻を括った様に言った。
 「まさか、同じバンドのメンバーじゃあるまいな」
 「そのまさかです」薫子は少し迷惑そうに言った。
 「まさか、演奏に乱入して掻き回すつもりではなかろうな」
 「僕達、楽器持ってきてませんから」と冬美は言い、「まあ、授業参観みたいなもなんです」と輝広は言った。
 「三人見学するには、椅子が必要ね」と、あゆみが言った。
 ・・・・一人の見学者と二人の冷やかしを前に、俺達は演奏した。楽譜も用意せず、気分でスタンダードを選んでは、テキトーな打ち合わせだけで、短めに。薫子はThelonious Monkの “In Walked Bud”をリクエストした。
 時々苦笑している井能さんのベースは、ことウォーキングと即興に関しては、あゆみとは比べものにならない程、上手い。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-04-28 23:57 | 第三話 「紫の指先」
 「え。それもかなり馬鹿ね」
 「所詮、文化系だからな。部活もブラバンだったし」
 「ブラバンは体育会系でしょ」
 「文化系だろ」
 「まあいいわ。私は本当に馬鹿な女よ」
 「まだ言うか」
 「だって、本当にそうなんだもん。何処が馬鹿かって、とにかく男の趣味が悪い。既にお察しの通り、ファザコンなんだ」
 「そうみたいだな」
 「というか、年上で、私より賢くて、ちょっぴり優しい所を見せてくれる人なら、結構、もう誰でも良いというか。そんな感じなんだ」
 「ふーん・・・・」俺は少し携帯の男のことが気になった。
 「やっばり、私はバカな女よ。そうじゃなきゃ、あんな男と付き合わない。自分の都合の良い時にしか遊んでくれない、我が儘な妻子持ちなんかと」
 「ふーん・・・・」俺は何を言ったら良いか、戸惑った。
 でも、少し気になって、もう少しだけ突っ込んで、言うことにした。説教じゃ、ないつもりだけど。
 「あゆみ、その、年上の男、もう止めとけよ」
 「え」
 「お前、絶対、無理して、甘やかしてやるんだろう? そんなのは、もう止めとけ。今は、バンドだけで良いじゃないか?」
 「そうね・・・・。いらないわ。もうしんどいもん・・・・」
 そう言って、あゆみは少し泣いた。
 俺はちょっとだけ、左肩を貸しながら、グラスを傾けた。
 Four Roses黒は、十二時半頃に無くなり、それから俺達は少し考え、結局、もう一本入れた。それから、俺達は、朝まで飲んだ。くだらない話から、新曲のアレンジの事まで。
 朝まで飲んで分かった事は、お互いが持っている音源が、数枚を除いて、全く重なっていないという事だった。
 そのうちの一枚に、Carole Kingの「Tapestry」があった・・・・。
 五時半頃、店を出た時、俺は結構酔っていた。が、あゆみは足取りもマトモで、ただ、上機嫌だった。
 「あゆみは酒、強いな」
 「カオルン程じゃ無い。飲み代は、また、今度返すね」
 「ああ、気にしなくて良い。どうせ、LPかCD買うか、酒飲むしか、金の使い道も無い」
 「あはは。気が大きくなってるよ、この人。おじさんだ、オジサン。似合わないから止めて」
 「おじさんさ。だって三十歳超えてるんだぞ」
 ・・・・それからタクシーに乗ったはずだが、覚えていない。
 何もしなかったとは思うが、ちょっと心配だな。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-04-21 00:30 | 第三話 「紫の指先」
 「そりゃそうだと思った。そして俺は、薫子に『軋轢を楽しむために、君の誘いを受けた』と言った」
 「何それ」
 「そう思わないか。グルーブなんて、放っときゃ良いんだよ。そんなことは、誰か他の奴が気にすることだ。俺達は、音で違う世界に行くために、集まっているんだから」
 あゆみは、少しグラスを傾け、そして、ゆっくり言った。
 「・・・・そうね。その通りだわ。
 私ね、この前のライブ、えらく感動したのよ。演奏する前は、みんな、何か少しずつ傷ついた感じだった。私はヴォイドに会って、酷く緊張していたし。そして始まったら、冬美ちゃんが練習通りに演奏しないでしょ。殆ど、破綻すれすれで、何度も駄目になるかと思った。でも、テンション高く保ちながら、何とか帰って来られた。それも、予想より豊かな地に」
 「そうだな」
 「私あの時・・・・」と、あゆみが言いかけた時、不意に携帯電話が鳴った。
 「・・・・どうぞ」と俺は言った。
 あゆみは番号表示を確認して、それから「別にいい。切っとくわ」と言って、電源を落とした。
 「良いのか。彼氏だろ」と、俺は悪戯っぽく言った。
 「いらない」あゆみはそう言って、グラスを傾けた。
 「別にいい。もう、いらないわ」
 「そうか。・・・・今、言いかけたことは何だった?」
 「何だったっけ。私は馬鹿な女だから、忘れちゃった」
 「何が馬鹿なの」こいつ、時々自己否定に入るんだよな。
 「まず算数が出来ないの」あゆみは少し酔ったのか、壁に凭れて足を組み、鶴亀算から算数、数学が出来なくなったこと、姉の存在、父親との確執、最初の男、影響を与えた年上の女性の事、音楽との出会い、何故ベースを弾くようになったか、等を話した。本当だな、飲むと結構、喋るんだ。
 今までの二人飲みは、リラックスした飲みじゃ無かったのか。
 「鶴亀算は俺も分からなかった。学生時代、短期間だけ公文式学習室でバイトしてたんだけど、鶴亀算が教えられなくって、方程式で教えたら、生徒の親から苦情が来てクビにされたんだ」
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-04-14 01:13 | 第三話 「紫の指先」
 「そうじゃない。そうだなあ・・・・。
 今、想像してみるに、自己批判の強い男と、抑圧された女が演奏する堅い音なんて、まるでナチスだ」
 「まあ、そうかもね。はは。雁字搦めね」
 「俺は、“今の”あゆみみたいな、後乗りの音のベースとはやったことは無かったんだ。硬い奴ばかりで。
 ・・・・そういえば、俺が一緒にやってきたベーシストは、エゴを出せないヤツばかりだった。たぶん全員、今はサラリーマンやってると思う」
 「サラリーマン? はは。面白い」
 「面白くなんか、ないさ。俺は奴らを音で押さえ付けてきた。何も面白くない。・・・・?」
 そうか、俺は予定調和が嫌いだと良いながら、今までやってきたバンドでは、メンバーを押さえ付けてきたんじゃないか?
 理想ばかり求めて、狭いルールを作って、それが音楽の質を高めるために必要だと思ってきた。でも、きっとその切迫した考え自体が、メンバーにとって気詰まりだったんだ。
 俺は今まで、俺を解雇したメンバーに才能が無いと切り捨てていた。実際、一枚だけ出た『南蛮』のCDを聴いても、全く魅力を感じなかった。だが、俺は奴らの良い所を、充分に引き出せていなかったんじゃないか。
 リーダー面して、抑圧して、思い通りに行かないことに苛立って。俺はそれが俺の責任感だと思っていた。
 でも、それはただの義務感だったのかもしれない。
 ふいに俺は、以前見た夢の中で、変態オヤジと黒猫のEricが言っていた、「どのような形式であれ、抑圧に変わる危うさがある」「そして、抑圧には際限がない」という言葉を思い出した。
 「・・・・カミさーん、帰ってきて」あゆみは右手を目の前でひらひらさせた。目が、少しとろんとしている。
 ふん、言おう。
 「俺は薫子に、俺とあゆみでは『気持ち良いと思えるグルーヴが全然違う』と言った。そうしたら薫子は、『私は気持ちの良いグルーヴを求めて一緒に演奏している訳ではない』と言った」
 「・・・・それで」あゆみのグラスが止まった。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-04-07 00:30 | 第三話 「紫の指先」
 「ベーシストを引き抜くと言うより、友達として助けてくれたんだと思う。私こんなんで頼りないでしょ。それであの頃、ヴォイドに覚醒剤やらされてたんだ。それを知ってカオルンは私に会う度、『止めなさい』って、ずっと言ってた。
 カミさんと同じで私もハッパは大好きだけど、覚醒剤は嫌だった。あれをやる人は、セックスすると気持ち良いらしいんだけれど、私は逆で気持ち悪くなるし、それに父親の事ばかり思い出して頭から離れなくなるの。
 それから、ヴォイドの口が何か少し臭う気がするの。普段は気にならないんだけれど、覚醒剤をやってキスしている時、ああ臭い、って、そればかり気になって、優しくしてあげたい気持ちが、努力しないと出て来なくなるの」
 「あれは良いことなんか一つも無い。俺はやったこと無いけど、やってる奴はみんな音が悪くなっていった。なんか、細かい事ばかり気になって仕方なくなるらしいんだ。切迫感に苛まれて、いらいらするらしい。酒も不味くなるらしいし。
 第一、俺は酒以外に不健康なことするつもりは無いんだ。最近はハッパも必要なくなった」
 「すぐ抜けられて本当に良かったわ。お酒が不味くなるのは嫌だ。その点は一緒ね、私達。
 演奏してても、ズレてばっかりなのに。はは」
 あゆみは、そういって、グラス半分になっていたソーダ割りを一気に飲んだ。そして、少し、唇を拭った。
 あゆみも、やはりそう思っていたのか。
 「前のバンドでヴォイドに支配されていた頃の私となら、カミさんと合ったかもね」
 あゆみは、Four Roses黒に手を伸ばす。そして、自分のグラスと、俺のグラスを作る。
 「ありがとう。・・・・そうかもしれない。その頃のあゆみとなら、ソリッドな音にまとまっただろうな。でも、つまらなかったと思う」
 「気休めはいい」
 あゆみはそう言ったが、少し拗ねた口調だった。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-03-31 01:20 | 第三話 「紫の指先」
     八

 「Light My Fire事件でしょ? 忘れられないなあ」
 「何、それ」
 俺とあゆみは、何時もの紫野山さんの店ではなく、少しバスに乗り、寺町御池上ルの古いビル三階にある、「Bar紫煙」に行った。バーボンが飲みたいと、あゆみが言ったからだ。
 かなり昔にボトルを入れた記憶があった。俺より少し年上の姉さんが一人でやっている店で、入り口に置かれた骸骨は本物だとの噂があった。客は俺達だけだった。
 「神ノ内さん、えらく美人の彼女ね」と、自分も美人の姉さんは言い、俺のボトルを出した。つまみの注文を訊いた後は、座敷で俺達が飲むに任せていた。小さな音で、偶然にもThe Doorsが流れている。
 「あ、聞いてない?カオルンったらねえ、膝を抱えてのたうち回ってるヴォイドを見ながら、私が飲んでいたウォッカのストレート、頭にぶっかけてね。『ねえ、誰かライター貸して』って言って、薄くなった髪の毛に、火、付けてね。
 叫いてるヴォイドに、『うるさい。 “Light My Fire”でしょ。本望でしょ』って、言ったのよ」
 「わはは・・・・」怖えー。
 「一瞬、燃えただけなんだけどね。
 ・・・・私、年上の男に、弱くって、反抗したことが無かったんだけれど、あれで少し人間が変わったかな」
 「年上の男って、俺もそうだけど」
 「カミさんはカオルンが連れてきた人だから、初対面の時から気を遣ったことは無いなあ。
 ……私、父親が天敵なの。あいつの前に出ると全然ダメなの。なんにもできないの。ただ、はい、はい、って言うばかりで。だから、家を出た時は本当に気楽になったんだけれど、でもダメなの。ベース片手にバンドをやり始めてからも、偉そうなことを言う、年上の男ばかりに捕まっちゃって。何時も、そうだったの」
 「天下のフェロモン散布マシーン、あゆみ姉さんがねえ。
 でも、薫子が喧嘩してまで、君を引き抜くなんて」
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-03-24 08:15 | 第三話 「紫の指先」