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ジャズ侍のブログ小説 ~ 青い光      

jazzamuray.exblog.jp

1990年代半ばの京都を舞台にしたバンド小説を書いてます。文中の場所、人は全く架空のものであり、実在の場所、人との関係は一切ありません。掲載は当面、毎月第一水曜日の予定。

 ・・・・待合いで、ハイライト・メンソールを吸いながら、右の薬指の甲をさすっている翁の前に立ち、薫子は言った。
 「私は所謂『テクニック』だけが即興演奏家の魅力だとは思いません。即興演奏に必要なテクニックは、やりたいことができることだと思っています。如何に速弾きができようが、やりたいことの無い演奏家は、価値が無いと思います」
 「それは分かっている」
 「じゃあ、深浦さんは、自分のやりたい即興演奏のために、誰と相談すべきなのか、よくご存じですよね」
 「・・・・誰」あゆみは不思議そうな顔をして言った。
 「右手の薬指と、もっとちゃんと相談した方が良いですよ」
 言いやがった。俺が言うのを躊躇していたことを。
 きっと翁は、何らかのトラブルで右手の薬指に傷を負い、思った様な演奏が出来ずに、シーンから消えた。そして、今でも過去の自分だけを厳しく追い続け過ぎているのだ。
 確かに今でも翁には、アマのミュージシャンと演奏するには、もったいない位の技術はあるだろう。だが、薫子と演奏するなら、身体的障害を気にしてアプローチに戸惑うような演奏では、一緒の地平には立てない・・・・。
 「君程、ずけずけものを言う人間には出会ったことが無い」
 「深浦さんが、既に会得しているはずの『間』を歌わせる演奏を極められれば、如何でしょうか。
 そうね・・・・。あなたはこれを聴いた方が良い」と言って、薫子はバーキンから一枚のCDを取り出して、翁に渡した。
 それは、例の変態オヤジが一九六三年に録音したソロ・ピアノ、「Mingus Plays Piano」だった。
 俺は思わず苦笑した。翁は大きくチッと言った。
 「何がおかしいの」薫子はきょとんとして言った。
 「何でも無い。おい、あゆみ、飲みに行こう」
 「え」
 「スタジオ代は出さないが、酒なら奢ってやる」
 「私達も飲みに行きましょうか」信じられないことに、薫子は翁に言った。「きっと私の事はご趣味じゃないでしょうから、安心して飲めそうですし。但し、タバコは控えめに。ワインの美味しい店にして下さいね」
 「よかろう。酒では負けん」翁はCDとタバコを鞄に納めた。
 ・・・・二人の背中を見送りながら、あゆみは「お酒でカオルンに勝てるかなあ」とつぶやいた。
 って、あいつは高校生だろ?
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-03-17 08:30 | 第三話 「紫の指先」
 やっぱり! 薫子は翁を知っていて、今日の練習に参加したんだ。翁とセッションするために。
 「・・・・最後にそう呼ばれてから三十年は経つな。君はひょっとすると歳をとらない魔女かね」
 「いえ。父のコレクションの中に、深浦さんが怪我をされる前に唯一残されたレコードがあって、時々聴いているので。
 私、実は深浦さんのファンなんです。
 レコード一曲目のオリジナル、“Tempestoso Like Bud”が特に好きです」と言って薫子は、ピアノ用に書かれたと思われる素早いテーマのメロディをすらすらとアルトで吹いた。
 それだけでなく、数小節、馬鹿っ速いソロまでも。
 翁は明らかに度肝を抜かれた様だった。
 「君、ワシのソロまでも記憶しているのかね」
 「私、一度見たり聞いたり読んだりしたことは、忘れようと努力しない限り、忘却できないんです」
 「凄いなあ」と、あゆみは言った。
 「・・・・悲しいことに」と薫子は小さく言い、そして続けた。
 「深浦さん、あなたの左手は慎ましやかで、色々なことをよく知っていて、そして、無駄口を叩かず、説得力がある。
 でも、どうして右手は自暴自棄にのたうち回って、自分自信を傷つける道化の様なことしか、言わないのですか」
 「完璧主義なんだろ」と俺は言った。
 「うるさいわい」翁はピアノの蓋を閉めた。
 「気分が悪い。橘くん、すまないがレッスンは今日限りじゃ」
 「逃げ出すのでしょうか」薫子はしれっと言った。
 「・・・・いや。こんな貧乳の小娘に馬鹿にされて、引っ込んだままでいられるか!
 しかし、これ程の手練れを相手にして、三対一では分が悪い。ワシにも共犯者が必要じゃ。次はワシがベーシストを連れてくるから、もう一度、やらんか」
 「結構ですが、あゆみちゃんへのレッスンは続けて欲しいのですが」
 「橘くん、次の練習の時は、ワシがつれてくるベーシストの演奏を間近で見たまえ。かなり勉強になるはずじゃ」
 「後、十五分だから、私達も片づけようか」とあゆみは言い、薫子は「そうね。深浦さん、少し待ってて下さい」と言った。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-03-10 14:06 | 第三話 「紫の指先」
 あゆみも何か感じているようだ。だんだん曲のコツを覚えてきて安定してきた、あゆみに俺は目配せした。俺は、ピアノが入りやすいように、ではなく、煽るように叩いた。
 翁は、ピアノに向かい、少し間を置いて、意を決した様に引き出す。ゆっくりと、確かめながら。
 少し余裕の無い音だが、何々風では無い、誠実なメロディだ。
 左手のコードが上手く補完する。
 演奏が進むにつれ、段々右手も歌ってきた。
 薫子は左足でテンポを刻みながら、それを見る。だが、そこには侮蔑はない。
 また、翁はつっかえた。止まりそうになった時、薫子はマイクを通さず「続けて」と言い、翁も「分かっとるわい」と吐き捨てる様に言うのが微かに聞こえた。
 翁は、フレーズの全体が損なわれないようにリカバリーする。何だ、やれば出来るじゃないか。割り当てられた小節の中で、しっかりした起承転結がある、バランスが良いソロだ。
 恐らく、完璧主義なのだ、このジジイは。だから、思った様に引けなくなった時、リカバリーできないんだ・・・・。
 終わりが近い。薫子がテーマを吹き始める。翁はキメの所でコードを入れる。そして、ユニゾンで再度テーマを吹奏して、余韻を残して終わった・・・・。
 「貴様ら、ワシをハメたな」深浦翁は、右手の甲をさすりながら言った。
 「いや」と俺は言った。
 「どうしてそんなこと言うの。私は、草ちゃんのこと、やっぱり凄いって、見直したけどな。それに、今の演奏はかなり勉強になった」とあゆみは言った。
 薫子は翁に近づき、言った。
 「八小節交換の時の派手なソロよりも、じっくり弾いていた最後のソロの時の方が良いですよ」
 「君のような小娘に評価されたくはない」
 「俺も彼女と同じ様に思いましたけどね」と俺は言った。
 「五〇年代後半、米軍基地でのジャムセッションで名を売ってらっしゃった頃より、さっきの演奏の方がきっと良いですよ。『横須賀のBud Powell』こと、深浦草太郎さん」
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-03-03 00:29 | 第三話 「紫の指先」
     七

 七巡目の自分の番で、翁は、少しリラックスした様子で、バップ風のソロを弾く。新感覚派風のソロよりは、歌っているな。
 と感心していた時だった。流暢なフレーズの展開の途中、翁は少しつっかえた。それは、俺が思うに、ジャズという音楽の範疇では、大したことのないミスだった。
 少しくらいのトーンミスがあったとしても、あまり気にならないし、例え重要なフレーズの中でミスったとしても、その後の展開で幾らでもカバーできるのが、ジャズという音楽の良いところだと思っている。
 だが、翁は前回の練習の時と同じ様に、引き続ける事が出来ずにいた。まるで、思考停止したかのように、指を鍵盤に打ち付けたまま。
 空白の時が過ぎる。不安からか、あゆみのベースが余計に辿々しく鳴る。
 残りの小節数が少なかったため、八巡目の頭、薫子は何もなかったかのように吹き出した。それも、翁がつっかえたフレーズを頭からそのまま吹き、つっかえて止まっていなければ自然に導き出されるかのようなフレーズを吹いた。
 なんて嫌みな奴だ。だが、強い説得力がある。
 翁は辿々しくコードを入れる。なんて自信の無さそうな・・・・。
 薫子は、八小節を吹き切った。しかし、翁は出ない。
 何故、彼は、一度失敗しただけで、こうもその演奏に対する熱意を失うのだろうか。俺達が今、演奏しているのは、スコアを厳密に演奏するクラシックでは無いのだが・・・・。
 それとも、あの右手の薬指の傷が影響しているのか?
 薫子が二小節過ぎた所で吹き出した。一小節目にやったように、Shorter風の洗練されたフレーズだ。
 そして、薫子はテーマに帰る。翁は、少し辿々しく右手でユニゾンする。
 終わるのか?レコードなら、テーマ二回吹奏の後、ピアノソロだが・・・・。
 テーマ二回吹奏の最後に、翁は決めのコードを入れた。
 突然、薫子がマイクに向かって話した。「終わらないで。ピアノソロに行きましょう」翁は、振り返って薫子を見た。
 かなり怒った目をしている。だが、薫子は、口の端で微笑みを返した。何を考えているんだ、薫子。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-02-24 23:25 | 第三話 「紫の指先」
 高低を激しく行き来する。強烈なタンギング。凄い。最近の練習では聴いた事のない切れ方だ。
 そして最後、ロングトーンで終わる。
 だが、翁はすぐには出ない。
 薫子の音の余韻が消えるのを待って、引き出した音は、Cecil Taylorの様に、リリカルかつ構造的な音だった。
 うおー、流石。しかし、あのスケベジジイにしては、少し観念的か・・・・。掻き回してみるか。
 俺は、翁が四分の五で弾いている所を捕まえて四分の三でバスドラの連打を入れた。
 翁の右手が揺れた。
 俺は調子に乗って変拍子に割った派手なフィルを回す。
 終わり際に薫子が、読んでいた様に被る。そして六巡目、用意していたようなすべらかな高速フレーズが流れ出した。
 また、翁は振り返った。・・・・さすがに本気になったか。
 翁は、薫子のフレーズの隙間に、少し外した様な合いの手を入れる。少し癖を読んだかの様な入れ方だ。
 だが、薫子はそれも見越していたかの如く、踏みつぶす様にして次のフレーズへ飛ぶ。全く、容赦ない奴だ。
 あれ、そのフレーズだと、八小節越えちゃうぞ・・・・。
 待ちきれないように、翁の右手が高速でシングルトーンの見事なフレーズを弾き出す。うー、真剣モードだな。俺も本気でお付き合いするか。
 このジジイ、一体無幾つの引き出しを持っているんだろう。Bud Powell風のフレーズだけかと思ったら、Cecil Taylorをちゃんと解釈したとしか思えない構造的フレーズ、聴かないと言っていたHarbie Hancockも真っ青なリリカルなフレーズ。
 右手の歌わせ方も良ければ、左手のコード・チェンジの趣味の良さ、時にはベースを補完する気配り。
 俺は、フレーズをバックアップするドラムに切り替えて、今は翁の演奏を楽しんでいた。性格は悪いが、尊敬に値する。
 ジャズ聴きの俺としては、何故、俺が今まで彼のことを知らなかったのかが、不思議だった。これだけの演奏が出来れば、日本ジャズ史上、何枚か、名盤を残すことが出来るハズだ。
 七巡目。続いた薫子も、今回は翁の演奏に敬意を払ったような、落ち着いた演奏をする。
 流石の薫子も、翁の力を認めたのか?
 だが俺は、薫子の目の中に、何かを見越した様な眼差しを感じていた。それはひょっとすると、俺が感じている懸念と同じものじゃないのか・・・・。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-02-17 00:20 | 第三話 「紫の指先」
 代わりに、薫子のソロになる直前に、あゆみが崩れた。
 ビートが失われそうになる瞬間、薫子の氷のようなソロが流れ出した。
 あゆみはそれをガイドにして帰る。
 薫子、・・・・こいつ、Shorterまで研究していたのか。破綻の無い、音数の少ない、Miles好みのアドリブだ。
 八小節後、翁も右手のシングルトーンで、綺麗なソロを聴かせた。やはり巧い。
 二巡目、薫子は、翁の終わりのフレーズを膨らませて歌った。
 負けずに、翁も薫子の終わりのフレーズを受ける。
 三巡目、薫子は滑らかに、速い、メロディアスなフレーズを紡ぐ。
 翁も、余裕の顔で高速フレーズを繰り出す。
 四巡目、薫子はその終わりのフレーズを使って、スケール練習するかのように高速で転調させる。翁は余裕だ。今度は受けずに、ゆったりと左手で歌わせるようにコードを刻んだ。
 音色、入れるタイミングとも、素晴らしくクールな左手だ。
 ふと、薫子の口の端が少し上がった。そして五巡目、翁に被るように滑り出す。そして、その瞬間、俺の目をチラっと見た。
 やっぱり・・・・。そろそろ行くつもりだな。俺は、息継ぎの間に、少しカウンターを入れてやる。
 あゆみも気づいた様だ。俺の方を見て、カウンターに合わせて、ベースで不協和音をかき鳴らした。
 薫子はそれに乗り、強烈なタンギングで音を粒立てて、アブストラクトなフレーズを吹いた。
 その瞬間、翁は振り返った。明らかに目つきが変わった。
 しめしめ。俺は畳みかける様に大きく煽る。
 翁はバッキングを止めた。
 乗じて、薫子はEric Dolphyの様に、アルトの管全体を大きく鳴らせる。一体、あの細い体の何処から、あの音が出てくるんだ?
 ジイサン、コード入れとかないと、どんどん貴方のコントロール出来ないところに行っちゃうよ。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-02-10 22:00 | 第三話 「紫の指先」
 「ええ」
 「橘君には、即興するための度胸が一番必要なんじゃ。どうじゃ、何か四人でやってみるかね」
 「良いですよ。じゃあ、深浦さん、Harbie Hancockの“The Sorcerer”って曲、ご存じですか」
 「君、Milesは嫌いだったんじゃないのか」と、俺は思わず言った。
 それは、Miles Davisが一九六七年に出した、当時全盛のフリージャズの喧噪とは、真逆のクールな同名タイトル・アルバムに入っている曲だ。MilesとWayne Shorterが八小節交換、つまりバトルをやっている。 俺はこの曲の破天荒なTony Williamsのドラムが大好きだった。
 「それはスタンダードじゃないだろ。ワシは新主流派はあまり聴かんのじゃが・・・・。確かこんなテーマだったな。コードは・・・・」
 「ソロを八小節交換しませんか?」
 「入れたり出したりじゃな。ワシの好きなヤツじゃ。しかし、最後まで逝っちゃいかんぞ」翁の目がエロく光った。
 「お手柔らかに」薫子は、軽くお辞儀した。「ピアノがテーマ始めて下さい。三回テーマ繰り返したら、私から始めます。
 あゆみちゃん、好きに弾いて。テーマではコードチェンジするけれど、即興の部分はモードだから、最初はフレーズの繰り返しでいい。フレーズに流れがあれば、多少、ミスチョイスしても大丈夫よ。神ノ内さん、煽る所は煽って下さい。
 深浦さん、要所でコード出してあげて下さい。じゃあ、ピアノからどうぞ」
 「ふん。ワシに指示出しするか。・・・・まあいい」翁は、速いテンポで弾き出した。
 俺はついて行く。あゆみは、二回目の繰り返しの途中から入った。
 薫子は三回目の頭から入った。忠実にテーマを吹く。
 それだけで分かった。こいつ、この曲を結構吹き込んでいる。
 くそっ。俺は一瞬、頭に来て、薫子を崩してやるつもりで、Tonyの様に、テーマのリズムとは全く異なる譜割のフィルを、隙間に打ち込んでやる。
 薫子は全く動じない。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-02-03 08:29 | 第三話 「紫の指先」
     六

 「え、カオルンも来たの?」
 「ええ、ちょっとお勉強させてもらいに来ました」
 「お、このべっぴんさんも、橘君のお友達か?」
 「初めまして、藍王薫子です。今日は、参加させて頂いて、ありがとうございます」またもや薫子は歯切れ良く話し、ぺこりとお辞儀した。嘘つきでーす、この女の子は嘘つきですよー、と俺は心の中で叫んだ。
 「可愛いなあ。そのケース、アルトだろ。高校でブラバンやってるのかい、お嬢ちゃん」
 「そんな所です」
 「そうかいそうかい。しかし、初々しいのう。まあ、二十歳過ぎれば、その有るや無しやのオッパイも少しは大きくなって、色気も出るじゃろう」
 ・・・・薫子の目が凍て付きかけている。
 「もうバカなこと言ってないで、早くスタジオ入って」
 あゆみは深浦翁の背中を押した。
 ・・・・薫子は、深浦翁の背中を見る形で壁際に座り、念入りなピアノ椅子の位置直しや、前と同じ“Tempus fugue-it”での指慣らしを見ていた。例の、一見冷たいが、侮蔑の無い眼差しで。
 「ふむ。このピアノも最悪だな」と言うことまで同じの翁は、「ええと。君、なんて言う名前だったかな」と俺に言った。
 「神ノ内です」
 「覚えにくい名だな・・・・。では、神ノ内君、橘君、また『クレオパトラ』からやるか」
 漸く名前が正しく言えたか。
 それから俺たちは「クレオパトラの夢」を三回、繰り返した。相変わらず、深浦氏は、終わる都度、あゆみに対して、主にソロ楽器をバックアップするための音の選び方について指摘した。
 あゆみはかなりやり込んだ風で、前回よりかなりマシだった。ただ、相変わらず、即興的に演奏することが難しい様だった。
 薫子は何も言わずに、ただ、それを見ていた。
 続いて“Down With It”を三回繰り返した後、翁のタバコ休憩にした時、翁は薫子に言った。
 「君、何か演奏できる曲は無いのかね。その、ジャズのスタンダードで。スターダストなんかは、ブラバンでもやるだろ」
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-01-27 00:19 | 第三話 「紫の指先」
 「ヴォイドさんが『そりゃ、お嬢さんは女子高校生でお時間もたっぷりあるでしょうから、練習も十分出来るでしょうけどね。俺達は、仕事しながら、身を削ってバンドやってるんや。ガキのくせに巧いからって偉そうなこと言うな』って」
 「ははは、おっさんの典型的なボヤキだな」
 「その上、私に唾を飛ばしたので、その・・・・、意識がコントロールできなくなって、気が付いた時には、空のビール瓶で、右足のすねを思い切り殴ってました。瓶の首が折れる程に」
 「ははは・・・・」こいつ、酒乱だったのか?
 「それから、あゆみちゃんは辞めさせるって言いました。それで、今、一緒にいます」
 叡山電鉄・元田中の踏切に、遮断機が降りた。俺達は止まり、薫子は、俺を見ずに言った。
 「あゆみちゃんの今の彼氏のことが、彼女の音の向上を阻害するなら、それは何とかしなきゃならないのでしょうけど。私は、そういう事はよく解らないので・・・・。興味も無いし・・・・。
 そういえば、神ノ内さん、私の質問への回答は?」
 「ああ、俺が何のために演奏するか、ね」
 「ええ」
 「俺が今、此処で演奏するのは、それが歯磨きと同じ習慣であることと、・・・・そうだな、軋轢を楽しむためだった」
 「軋轢を楽しむ?」
 「そう、人間関係の中で、軋轢を楽しむなんてことは、バンド活動以外には出来ない。俺は予定調和が嫌いだ。だからこそ、君の誘いを受けたんだった」
 「ふふふ。神ノ内さん、このバンドに居心地の良さを求めるのは駄目よ。それは誤解、一瞬の幻想なのよ」
 「そうだな、その通りだ」
 出町柳行きが通り過ぎた。薫子は、プジョーに跨った。
 「・・・・私、先に帰ります。また、明日」
 水色の薄いカーディガンがひらりと揺れた。俺は、その凛とした薫子の背中を見送った。
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-01-20 02:33 | 第三話 「紫の指先」
 「Televisionは好きです。やりたいとは思わないけれど。
 “White Heat”の中で、一番目立たないけど、サウンドの一番下で、リズムと音程を堅持していたのが、彼女だった。
 その頃から、彼女がお目当ての客も多かったな。
 ・・・・何故、おじさん達は、かき鳴らすのが、パンクだと思っているのかしら。チューニングも無茶苦茶。彼らが好き勝手やっている中で、辛うじて音の核が保てているのは、彼女がそこにいたからだった。堅い、正確な音だった。無表情な顔して、細い指でね」
 「今のタメタメと違うじゃないか」堅い音なら、俺には合うはずなんだが。
 「・・・・そうね、彼女の音は大分変わったと思う。でも、私は、私の音に合うか合わないか関係なく、今のあゆみちゃんの音が好きだし、初めて聴いた時から、あゆみちゃんの本当の音は今みたいな音だと思っていた」
 「それで、何で、どうやって引き抜いたわけ」
 「打ち上げで喋ったら、もっと魅力的だったから。お酒が入ると明るくなって、甘え症になっちゃうのは、その時から全然変わって無い。そして、色々と、喋ってくれて」
 「どんなことを?」
 「それも、あゆみちゃんに直接訊いたら良い。たぶん、飲ませたら、すぐ喋るだろうから・・・・」
 「飲んでも、あゆみは、あまり自分の話はしたことなかったんだけどなあ」
 「それは、まだ飲み足りないからよ。
 それから、彼女を観るために、次の“White Heat”のライブに行って、相変わらず酷い演奏で・・・・。それで、私、気になって、あゆみちゃんにくっついて、また打ち上げに行って、その・・・・、ヴォイドさんと喧嘩になっちゃって」
 薫子は、苦笑した。苦笑する薫子を見たのは初めてだ。
 「なんで」
 「キメでリズムがずれて、八部音符、ひっくり返ったのは、あゆみちゃんのせいだって。お前、何時になったら俺達に付いて来れるんだって言って。ヴォイドさんが早く突っ込んだせいだったのに、あゆみちゃん、目を伏せたまま、ごめんなさい、って言うもんだから。
 私、あゆみちゃんと一緒に、結構飲んでいたので、ついつい、『何言ってるの、狂ってるのは、おじさん達の耳でしょう』って、それから『聴かせたいなら、もう少し練習したらどうです。下手なんですから』って、言っちゃって・・・・」
 あれ、耳朶が赤くなってる?「それで」
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-01-13 22:55 | 第三話 「紫の指先」
 それはそうだな。そのために集まっている訳では無いだろう。
 「・・・・ごめん。取り乱したことを言った。だが、あいつも同じ理由で悩んでいることは、恐らく事実なんだ」
 「・・・・分かっています」
 信号が青に変わった。少し風が吹いた。
 薫子と俺は、横断歩道に自転車を押し出す。
 「私は、グルーヴには興味が無い。ただ、緊張感の中で覚めていたい」薫子は前を見たまま言った。
 こいつはそうだろうな。「そうでなきゃ、こんなに趣味と出自がバラバラの人間を集めて、バンドなんか組まないだろうな」
 「神ノ内さんは、何のために演奏するんですか」
 俺は躊躇った。薫子は、渡りきった所で止まった。
 ・・・・ファン、とクラクションの音がした。信号が変わりかけている。薫子は、俺の肘に触れて言った。
 「自転車、歩道に乗せて」
 「ああ、すまない・・・・。ちょっと、思考停止に陥った」
 「・・・・行きましょう」
 カラオケ屋の店先から、安物のJ-popが流れてくる。
 「薫子とあゆみは、どうして知り合ったんだ」
 「質問に質問を返すのは反則です」
 「ごめん」
 薫子はクスリ、と笑った。「謝ってばっかりですね。
 まあ、いいわ。
 初めてあゆみちゃんと会ったのは対バンで、去年の今頃かな。
 黒服で固めたギター・ボーカルのおじさん、ケミカルウォッシュのジーンズを履いたギターのおじさん、変にキュートな服着たドラムのおじさんに一人混じってベースを弾いていたのが彼女だった」
 「それ、“White Heat”のヴォイドのことだろ。そもそも何であゆみは“White Heat”に入って、ヴォイドなんかと付き合ってたんだ?」
 「知らない。直接、あゆみちゃんに訊いて下さい」
 薫子はウインクした。・・・・俺は少し怖かった。
 「彼のやりたい事は、多分、Richard Hellとか、ニューヨーク・パンクなんでしょうね」
 「ニューヨーク・パンクのムーブメントの頃なんて、薫子は生まれてないだろ。聴いた事、あるのか」
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# by jazzamurai_sakyo | 2010-01-06 23:21 | 第三話 「紫の指先」
 俺は少し当惑したが、この前、飲んでいた深夜に、携帯に電話してきた男が、訳ありの男であろう事は、推測していた。
 「・・・・冬美、おまえのせいでライブの予定が決められなかったな」
 俺は、あゆみの話を気にしない振りをして言った。
 「薫子、今は出る気は無いんだろう?」と冬美は言った。
 「今の所はね」薫子は、冬美を見て言った。「今は中途半端なことはしたくない」。
 そして、急に俺に振り返って言った。「ねえ、神ノ内さん、あゆみちゃんとスウィングのレッスンをしてるって、本当?」
 「ああ? ただのフォービートだよ。変なジイサンにシゴかれてるんだ。明日もね」
 「そのレッスン、私も行って良いかしら」
 えっ。「・・・・良いんじゃないか」薫子の目が何か少し言いたそうにしている。俺は目を逸らした。「ライブはどうするんだ」
 「明日のレッスン次第ね」えっ。「どちらにせよ、“癩王のテラス”での出演は無理よ」
 「僕、帰るよ」冬美は立ち上がった。「眠い」
 ・・・・「薫子、高校生にはちょっと悪いんだが、今から少し、時間くれないか」
 冬美はタクシーで帰り、輝広は大学に戻った。プジョーのクロスバイクの荷台にアルトとフルートを括り付け、跨ろうとしていた薫子に、俺は声をかけた。
 「なんでしょう」ジーンズの細い右足が下ろされる。
 「あゆみの事なんだが」
 「・・・・自転車、ちょっと押して行きましょうか」「ああ」
 「東大路を北に」
 ・・・・七月初めの、京都独特の湿った熱が、百万遍の交差点にこもっていた。信号待ちで、俺は言った。
 「薫子、お前はどう思ってるか知らないけど、俺とあゆみは合わないよ。気持ち良いと思えるグルーヴが、全然違うんだ。
 今の状態で、これ以上、あゆみとやるのは、ちょっと難しい」
 薫子は、俺の目を見て言った。
 「神ノ内さん、私は気持ちの良いグルーヴを求めて一緒に演奏している訳ではないんです。それが欲しいなら、他で求めて下さい」怒っている訳ではないが、冷たい声だった。
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# by jazzamurai_sakyo | 2009-12-30 00:14 | 第三話 「紫の指先」
     五

 「明らかに煮詰まってるね」
 京大オルタナ部のスタジオで、遅めの練習が終わった時、冬美は早々と自分のヴァイオリンをしまい込むと、まるで他人事のように言った。
 「特に歌モノの二曲は、どうするのかなあ」
 「俺は歌モノにするとは言っていない」
 輝広は、練習中に弦が切れたこともあって、少し不機嫌そうだった。
 「しかし、・・・・薫子、あの話どうする?」
 「まとまった曲をやるのは無理ですね」
 薫子は、首筋をハンドタオルで拭った。細い体に張り付いたノースリーブから、長く白い首が伸びていた。
 「おい、あの話ってなんだ」俺は突っ込んだ。「ライブだな。どうして早く言わない?」
 「昨日言われた話なんです」
 「カテキョーの時に電話があったんだ。薫子は、乗り気じゃないんだろ」
 「また、ジャズのイベントなんです」
 「スノッブな、な」
 「ふん。C Jam Bluesでもやるか」俺は、あゆみを見た。
 あゆみは嫌そうな顔をしている。
 「薫子も、この大学行くなら、瀧上さんに習うんじゃなくて、ちゃんとした予備校、行った方が良いよ」と冬美は言った。そして急に「あゆみちゃんさあ、最近、演奏に張りがないね」と言った。「何かお悩みでも」
 「冬美ちゃんに相談しても、余計に傷つくだけよ」と薫子は言った。
 「・・・・まあ、私達の中に、慰めるのが得意な人はいないようだけど」
 「カオルン、もう良い」
 あれ、マジにあゆみが怒ってる。
 「別に、誰かに慰めてもらおうとは思ってない。・・・・次は、明後日の八時ね。お先」
 そう言うと、あゆみは先に出ていった。
 「なんだあいつ。普通の女みたいじゃないか」と俺は言った。
 「あいつは普通の女だよ」と輝広が言った。「じゃなきゃ、不倫なんてバカなことはしない」
 「先生」薫子は輝広を睨んで言った。「慎んで」
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# by jazzamurai_sakyo | 2009-12-23 23:52 | 第三話 「紫の指先」
 俺は既に深浦氏を尊敬していた。確かに口は悪いが・・・・。
 ベースソロを振られたあゆみは辿々しかった。そういう俺のドラムソロも、スイング風を意識したせいか、相当ダサかった。
 ガン。テーマに帰る。壁の時計が、そろそろ俺達の借りている時間が終わることを告げている。
 あゆみのほっとした顔を見ながら、俺も少し苦笑した。
 その時だった。BメロのアドリブからAメロのテーマに帰る所で、深浦氏はつっかえた。それはちょうど、Budがつっかえる箇所と同じ箇所だった。
 だが、深浦氏はBudの様にはリカバリー出来なかった。つっかえた瞬間、右手を左手で包み込んで固まっていた。
 俺とあゆみは、中途半端に終わった。
 「どうしたんですか?」
 「・・・・すまん。同じ所だな」深浦氏は弱々しく言った。「あんな所で言うことを聞かなくなるとは思わなかった。無意識のうちに意識してしまったようだな」
 彼は右手を下に向けて素早く振った。その時まで気が付かなかったが、右手の薬指の根本に、傷跡があった。そして、その薬指は少し紫色に見えた。
 「・・・・今日は、もう止めておこう。スタジオ代は、橘君持ちだったな」そういうと深浦氏はアップライトの蓋を閉めて、さっさとスタジオを出ていった。
 その背中を見ながら、俺は何故、彼が最後にリカバリーしてテーマに戻らなかったのだろうかと、思っていた。
 「次の練習は、もう少し早い時間にしておくれ。歳のせいか、眠くてかなわんわ」待合いで、ハイライト・メンソールを吸いながら、深浦氏は、右の薬指の甲をさすっていた。
 「カミさん、スタジオ代、三分の一は持ってくれる?」
 「え、今日はあゆみ持ちだろ?」
 「恨めしい~。また、たかってやる~」
 「橘君」深浦氏は使い込んだ一澤帆布の鞄から、一枚のCDを取り出し、あゆみに渡した。「本物のベース・ウォーキングとはこういうものだという優れたお手本を貸してあげよう」
 それは、例の変態オヤジMingusが、晩年の一九七四年にカーネギーホールで演じた名演で、俺も愛聴する盤だった。
 「A面のコードはCだ。それだけだ。これを、全部覚える気で聴きたまえ。次のレッスンでは君のボディ同様、メリハリと色気のある音で、俺のこいつを少しは熱くしておくれよ」
 老ピアニストはそう言い、またも左手の親指を人差し指と中指の中に入れて、ニヤニヤしながら握って見せた。
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# by jazzamurai_sakyo | 2009-12-16 16:02 | 第三話 「紫の指先」
 それから俺たちは「クレオパトラの夢」を二十回近く繰り返した。深浦氏は、その都度、原曲から離れることなく、しかし、毎回違う新鮮なアドリブをした。そのアドリブにしても、奇をてらったフレーズは無く、コードに忠実に、次の展開が読めるよう展開して、あゆみがウォーキングし易いようにしていることが、ありありと分かるのだが・・・・、あゆみは付いていくのが精一杯という感じで、ヘロヘロだった。
 曲の間、あゆみは深浦氏から、「君は本当に曲を覚えてきたのかね」、「その中途半端なブルースもどきのフレーズは止めなさい」、「そのベースにはフレットが付いているのに何故音が揺れるのかね」、「グルーヴを意識しすぎて音のチョイスが単純になっとるぞ。そもそもこのコードにあう音は・・・・」等、くどくどと指摘された。
 ついでに俺までが「君のドラムは根本的に硬いねえ。左足が全くスウィングしとらんじゃないか」と、あまり言われたくないことを言われた挙げ句、最も指摘されたくないことを言われた。
 「君達は、根本的な所でグルーヴが合ってないのじゃないかね」
 俺は驚いてあゆみを見た。あゆみも俺の顔を見ていた。その目が、明らかに動揺して、眉間が硬直していた。
 「・・・・そうでも、無いよ」
 「同じバンドだと聞いたが、何時もお互い無理して合わせているだろ」
 俺は言うに事欠いた。
 「・・・・すみません。何か違う曲をやりませんか。俺、もうクレオパトラには飽きました。これ以上やったら、この曲嫌いになります」そう言って、誤魔化すしかなかった。
 「・・・・私は、もうなった」あゆみは半べそ状態で言った。
 「じゃあ、これを」深浦氏は、同じアルバムの三曲目の「Down With It」を弾いた。これもAABA形式の単純な曲だ。「カミヤマくんはこの曲知ってるだろう。では」
 ガン。いきなり冒頭のコードを叩き込まれて俺は付いて行くしかなかった。右手と左手の速いユニゾンが弾かれる。
 余程弾き込んでいるのか、アドリブも生き生きとしていた。
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# by jazzamurai_sakyo | 2009-12-09 23:03 | 第三話 「紫の指先」
     四

 「なんだ。ジャズというよりはプログレッシブ・ロックでもやりそうな顔の兄ちゃんだな。君はBill Brufordが好きだろ」
 ジャズ系ライブハウス『Stride』が経営する、白川通りに面したスタジオの待合いで、その小柄な老ピアニストは唐突に言った。
 臆した訳ではなかったが、あまりに図星だったので切り返すことができず、俺は一瞬、凍ってしまった。彼はその間を見逃さず、「図星だろ」とトドメを刺した。
 「草ちゃん、ホント失礼ね。まだ、紹介もしてないのに・・・・」
 「君、なんとゆう名前だったかな。どうも最近、男の名前が覚えられん」
 「神ノ内です」
 「ワシは深浦草太郎という。君、橘君とは既に何発位やっとるのかね」老ピアニストはそう言い、左手の親指を人差し指と中指の中に入れて、握った。
 「・・・・一週間に二回だから、二〇回は超えますよ」と俺は言い、左手の中指を立ててやった。
 「・・・・こらこら。馬鹿な男の典型みたいなことやってないで、早くスタジオ入って」あゆみは二人の男の背中を押した。
 そんな出会い方だったから、ピアノ椅子を念入りに直した後、小さな背中を屈めた深浦氏が、Bud Powell直系の様な指使いで高速フレーズを弾き出した時、かなり驚いた。
 “Jazz giant”に入ってる“Tempus fugue-it”だ。
 この難曲を、レコードと同じスピードで弾ける技術にも驚いたが、音の立ち加減、無駄な感情のユレの無さ、生で聴く感動に、俺はやられてしまった。
 「ふむ。このピアノも最悪だな。まあ、あの店のアップライトよりはましだが」
 「草ちゃんみたいなプロから見たら、どんなピアノも最悪でしょ。ここはただの貸しスタジオなんだから」
 「カミヤマくん。どうかね、付いてこれそうかな?」
 「やりますよ」俺は名前を訂正する気も失せ、そう答えた。
 「では橘君、これ覚えてるかね?」深浦氏は「クレオパトラの夢」を弾く。「これは単純な曲だからね、入門には良いだろ」
 どうやらBud の“The Scene Changes”を渡されたようだな。確かに、あの盤は全ての曲がシンプルだ。
 「・・・・やってみるわ」
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# by jazzamurai_sakyo | 2009-12-02 22:27 | 第三話 「紫の指先」
 「・・・・ウチは儲かるから良いんやけどね」
 「そういえば、草ちゃんのことで、カミさんにお願いがあるんだけど」
 「金貸すのは嫌だぞ」
 「そうじゃなくて、今度、練習に付き合って欲しいの」
 「練習?」
 「セッションして、ジャズベースを教えてくれるっていうの。カミさん、フォービート得意でしょ」
 「得意じゃないよ」俺は一瞬、苛ついた。
 「だって、あんなに上手いのに」
 こいつ、俺のフォービートをちゃんと聴いて、そう言っているのか。
 半身になってこっちを向いているあゆみの目が、少しとろんとしている。・・・・今、何か言っても、ちゃんとした話にはならないな。
 「形をなぞっているだけだ」ブラウスの胸元をつい見やってしまった俺は、慌てて目を逸らして、ぶっきらぼうに言った。
 「まあ良い。どっちにしろ、リズム隊の練習は別に必要だと思っていたし、何故ピアニストがベースを教えるのかはよく分からんが、一度ウォーキングを勉強しておくのは、悪くない。何日だ?」
 「付き合ってくれる!ありがとう!あのね、草ちゃんが都合が良い日はね・・・・」あゆみは俺の方を向いて膝をくっつけ、カバンから手帳を取り出しにかかった。俺の鼻先で、あゆみの量の多い髪が揺れ、俺は二十センチ程、頭を引いた。
 ・・・・こいつ、天然なのか、結構危なっかしい。きっと、この酔った時の所作のせいで、誤解している男がかなりいるぞ。
 困って紫野山さんを見ると、俺の考えていることが分かるのか、少し口の端を上げた。
 その瞬間、あゆみの鞄の中で携帯電話が鳴った。
 一瞬の静止の後、あゆみは手帳ではなくそれを取り出し、番号の表示を見て素に返った。
 「どうぞ」と俺は言った。
 あゆみは「ごめんなさい」と真顔で言い、「もしもし」と言いながら店を出ていった。
 「こんな時間に誰ですかね」俺は座り直して言った。
 「あの顔なら、彼氏やない?」
 紫野山さんは、モヒカンの髪を撫で付けながら、煙草に火を付けた。
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# by jazzamurai_sakyo | 2009-11-25 01:22 | 第三話 「紫の指先」
     三

 「なあ、そろそろワリカンにならないか、・・・・飲み代」
 「ダメー」
 練習の帰り、俺はまた、あゆみと一緒に紫野山さんの店で飲んでいた。だが、何時もこの店で勘定を持つのは俺なのだ。何故、俺は何時もコイツと飲んでいるのか。それは一度、ちゃんとグルーブが合ってこないことを話し合っておかなければならないと思っていたからだが、何故か何時も言えないでいた。
 「あゆみ、お前、飲む時は常に他人の財布なのか」
 「そうよー。最近の例外を除いてね」
 「何だ、例外って」
 「最近、あゆみちゃん、困った爺さんにタカられてるんやわ」と、紫野山さんは言った。
 「爺さん?」
 「最近、良く来る客なんやけど、ピアニストなんやわ」
 「草ちゃんは、やたらピアノが上手いのよ」
 「ある日、終い際にあゆみちゃんと話してたら、ふらっと入ってきてなあ。かなり酔ってたから、『もう終いです』て言ったんやけど、『ジャック・ダニエルを一杯だけ飲ませてくれ』て言うから出したんやわ。暫く大人しく飲んでたんやけど、突然、 あれに近づいて、勝手に弾き出してなあ」と、紫野山さんは店の奥の古いアップライトを指さした。
 「ラグタイムっていうの。指がね、早足で逃げていく蜘蛛の足みたいにね、するするするするって交差して」
 「あゆみちゃん、その表現カナンわ。僕、蜘蛛苦手やから」紫野山さんは、細い目を余計にきつくして言った。
 「・・・・凄い速さなの。私、本当に感動しちゃって。
 ただ、私には分かんないんだけど、なんか気に入らない所があると、途中で止めちゃうの」
 「時々、引っ掛からはるんやわ」
 「それで、最後まで聴きたいって言ったら、『もう一杯、奢ってくれたら』って、言うもんだから、つい」
 「次の日には、道具持ってきて、ピアノ調律してくれてなあ」
 「それから、私が一時位までいる時に限ってやって来て、毎回『なんか弾くからおごれ』って言われて・・・・、大体その時間には私も酔ってるから、何時もつい気が大きくなって」
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# by jazzamurai_sakyo | 2009-11-18 00:25 | 第三話 「紫の指先」
 冬美は、この前の打ち上げの時に見せた「乱れ」はもう見せず、毒舌に拍車がかかっていた。
 俺は俺で、最初のライブの時の、ジャズ・スタイルでの薫子との格闘を、もっと深めたい思いがあった。それで、また練習テープを繋げて編集した、ヴァイオリンをメインにしたインストの曲(これは、冬美が一部作曲を加えたりして形に成りつつあったが、構成にストーリーの必然性を欠いた部分が残っていた)の他、かなりジャズ寄りで、ちょっと長尺のジャズ・ロック曲を作ったのだが、これが気に入られ過ぎて困っていた。
 「いやー、この曲は遊べるなあ」と輝広は言ったが、薫子の「やっぱり、マニアね」の言葉には、少々複雑な思いがした。
 結局、あまり遊びすぎると飽きてくるということと、あゆみが、フォービートを弾くのに苦労していたこともあって、頭打ち状態だった。
 あと、問題が何点かあった。俺は以前から、あゆみとのビート感覚や、グルーヴに大きなズレを感じていた。練習を重ねれば合ってくるだろうと安易に考えていたが、どうやら、根本的な所で合わない部分があるようだ。曲の発展まで手が回らないのは、このことに少しいらだちを感じていたからかもしれない。
 金の面で言うと、俺はまた、レコードやCDを買うようになった。練習の合間の会話の中で、俺が聴いたことの無い名前が出る都度、俺は、奴等には密かに探してそれを買っていた。
 この出費は結構、馬鹿にならなかった。四人が四人とも、全く異なるジャンルを聴いていたからだ。
 加えて、京大オルタナ部のスタジオは、京大生の新入部員が増えて、予約出来にくくなった。半分は普通のスタジオになって、負担が増えたのはきつかった。
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# by jazzamurai_sakyo | 2009-11-11 00:07 | 第三話 「紫の指先」
     二

 俺の最近の悩みは、金と時間が無いことだった。図書館司書の仕事は給料が良い訳ではないのに、新たな出費に軽く悩まさせていた。
 “underground garden”ラストライブ・イベントの後、「癩王のテラス」は週に二日(月、木)、一回三時間程度練習をした。各人が持ち寄った新曲を仕込むことにしたのだが、これに時間を盗られていた。
 そのうち、あゆみが持ってきた歌物の曲は、メランコリックなメロディで、最初は「青い光」の様に弄っていたのだが、結局、原曲の雰囲気を残した小曲としてアレンジにした(もちろん、捻るべき所は捻ったが)。ただ、薫子が歌詞を書くのをやんわり拒否し、あゆみも歌詞を一向に持ってこず、加えてあゆみも薫子も歌うのを譲り合ったため、詰めが難航していた。
 デモテープに入れられたあゆみの声は、低く、ぶっきらぼうだったが、聴きようによってはSandy Dennyの様に聴こえなくもなく、意外に気に入った俺は、あゆみが歌うことを主張したが、・・・・なかなかウンと言わない。
 輝広が持ってきた、ブルースフィーリングの強い曲は何とかものになりそうだったが、これもインストのままにするのか、歌詞をつけるのか、輝広の意思がハッキリせず、ストップしていた。
 しかし、あゆみと輝広が持ってきた曲は、明らかに歌ものにすべき曲だった。正直、二人に歌ものが作れるとは思っていなかったが、薫子にやれといったこと、つまり、歌詞を書けと言ったことを、あゆみと輝広には言わずに済む訳でもない。
 ひょっとすると、あの曲=「青い光」に対して、あゆみと輝広の意識に、何か囚われの心が出来てしまったのかもしれない。
 その「青い光」には、薫子の当面の凍結宣言があった。
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# by jazzamurai_sakyo | 2009-11-04 00:03 | 第三話 「紫の指先」