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ジャズ侍のブログ小説 ~ 青い光      

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1990年代半ばの京都を舞台にしたバンド小説を書いてます。文中の場所、人は全く架空のものであり、実在の場所、人との関係は一切ありません。掲載は当面、毎月第一水曜日の予定。

第一話 「黒猫は踊る」 第4節の2

 ベースは、少しタメのある、独特のグルーブだった。レゲエでもやっていたのだろうか。身長が一七〇センチはあるだろう、彼女の手は、確かに小さくはないが、指引きであれだけ芯のある音を出せる奴を、俺はあまり知らなかった。ただ、即興は不得意なようで、ソロの時は、思いつく限りのリフを回していたようだった。えらく、格好良いリフばかりだったが・・・・。
 あの女子高生のアルトのソロは、最初、冒頭のテンションそのままに吹き出して、その後、一転してロングトーンのフレーズを、ゆっくり吹いた。
 その時、彼女が疲れて間を取っていた訳ではないことは、ジャズを聴いたことのある奴なら、誰でも分かることだった。大きい音の立体感は当然だが、小さな音のロングトーンも、立体的な音像で存在した。小さい音量のままに、音程を正確に保つのは、とても難しいことなのだ。
 (後で彼女は、その理由について、「私は管楽器をフルートから始めたから」と言っていた。)
 そして彼女は、徐々にそのフレーズのバリエーションを紡ぎ出し、繰り返す毎に加速させた。
 四人とも、感情のままに音を垂れ流すことはしない点で共通していた。だが、それにしても、彼女の場合は、冷徹な意志力を感じる音のコントロールが特に印象的だった。
 ただ、その中にも、やっぱり“若さ”を感じたのは、時に顔を出す、とてもシンプルで叙情的なフレーズのせいだろう。
 集合体としての統一感の無さ、四人の演奏の自由さと構築力、雑然さと緻密さ、猥雑さと理性の何とも言えないバランスに、俺は打たれた。
 何故なら、俺自身が雑食だし、バンドを解雇されて以来、少し思っていたことがあったからだ。
 演奏における自由と構築、雑然と緻密、猥雑と理性といった、全く正反対の要素の共存について、だ。その考えを刺激する演奏だった。
 そして俺は、あの女子高生のソロの終わり際、絶妙のタイミングでシーケンサーが鳴り出し、ベースとギターが滑り込み、ヴァイオリンが冷たくテーマを奏でた時・・・・、その時から既に、奴らの後ろで、どんなドラムを叩こうか、そのことばかり考えていた。
 この冷たくて、それでいて猥雑な音の後ろで。
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by jazzamurai_sakyo | 2008-02-27 23:40 | 第一話 「黒猫は踊る」